この記事では、「凡百」と「平凡」の違いを分かりやすく説明していきます。
難しい言葉を覚えていきましょう。
「凡百」とは?
凡百(ぼんぴゃく)とは様々な、色々なのこと。
ひとつだけではない、複数の物をあらわします。
この世にあふれている、多種多様なものが凡百になります。
凡百の「凡」には「全体の・おしなべて」という訳があります。
そして百は、数がとても多いことをしめします。
つまり色々な物質が、数えきれないくらいあること。
全体を見渡してみると、恐ろしいくらい様々あることが凡百です。
凡百は「ぼんぴゃく」という独特の読み方はもちろん、正しい意味が浸透していない言葉になります。
日常生活ではあまり使われない熟語ですが、これを機に正確な意味をおさえておくと良いです。
「平凡」とは?
平凡(へいぼん)とは、当たり前なこと。
わざわざ口にするまでもないくらい、普通のことです。
どこにでもある物や様子を、平凡といいます。
平凡の「平」には「特別ではないもの」という訳があります。
そして「凡」は「人並み」という意味が込められています。
つまり平均的で、とりわけ目立っていないもの。
陳腐でありふれている様子が平凡になります。
「平凡なサラリーマン人生」や「平凡すぎるデザイン」のように使います。
特色がないもの、刺激のない日々が平凡にあたります。
「凡百」と「平凡」の違い
どちらも間違えやすい表現です。
「凡百」と「平凡」の違いを、分かりやすく解説します。
・諸々の「凡百」と月並みな「平凡」 どちらも「凡」の漢字が含まれているので、間違えやすい表現です。
平凡は月並みで、特別ではない状況をあらわします。
平凡の対義語は非凡で、非凡にはとても優れているという意味があります。
そのため特別に優れていないもの、普通であるものが平凡です。
そして凡百には「様々なもの・諸々のもの」という訳があります。
凡百は間違えて認識されやすく「劣っているもの」と誤認されやすいです。
比較にならないくらい劣等なものを表現することもありますが、これは誤った使い方なので正しい意味をリセットしておきましょう。
まとめると凡百が諸々のもの、様々なことです。
そして平凡がありふれたもの、月並みなものを指します。
ちなみに凡をふくむ四字熟語に「凡聖一如(ぼんじょういちにょ)」があります。
これは一般の人も優れた人も、本質的には変わらないこと。
紙一重であることから、努力次第でいくらでも変身できることをあらわした言葉です。
いい表現も胸に刻んで、前に進んでいきましょう。
まとめ
「凡百」と「平凡」の違いを分かりやすくお伝えしました。
「凡百」とは、色々あること。
数えきれないくらい散らばっている様子をあらわします。
そして平凡とは、一般的なこと。
とりわけ優れている点が見つからないくらい、平均的な様子をいいます。
凡百は劣っているものと間違えやすいので、正しい意味をおさえておきましょう。