この記事では、「日進月歩」と「日々精進」の違いを分かりやすく説明していきます。
「日進月歩」とは?
「日進月歩」は、中国の思想家である荀子の思想の中にあり、日進という部分が人徳によって成長することを意味します。
ただし、日進という急速な成長は、人格に優れた人物であり周囲の手助けを借りて急速に成長するものを意味すると荀子は述べているため、「日進月歩」はいわば、人格者のみが自分の人徳を利用して自らを急成長させるということになります。
よって、日本に「日進月歩」という言葉が広がった際には、人徳という部分が欠落していて、単に急速に成長するという意味しかありません。
「日々精進」とは?
「日々精進」は、「日進月歩」が飛び級で急成長するようなものであるに対して、こちらはコツコツと努力して一歩一歩成長するという意味です。
よって、飛び級で急成長こそできませんが、着実にだんだんと成長する様子から、日本人が好む言葉として定着した言葉になります。
この言葉の反対の言葉が、何の努力もしないという意味を持つ「一暴十寒」という四字熟語になります。
「日進月歩」と「日々精進」の違い
両者の違いは、中国の思想家の考えをもとにした言葉であるか、日本人の思想を取り入れた四字熟語であるかです。
そのうえで両者の位置が違う点も着目すべくポイントで、「日進月歩」は、飛び級で急成長することであるに対して、「日々精進」は、飛び級こそできませんが日頃の努力によって確実に成長することになるため、両者の違いは成長するスピードでもあるのです。
まとめ
「日進月歩」については、中国の思想家の考えをもとに言葉が構成されており、日進が、人徳を指し、月の歩みがものすごく高速な速度で成長することを意味する言葉になります。
ただ、この言葉、本来は、人徳者であるがゆえ、周囲が手助けをして人徳者の成長を急成長させるというものなので、言い方としては、人徳がある者だけが急激に成長するという解釈になります。
よって、現在の日本で使用されている「日進月歩」については、人格者が急激に成長をするという部分が欠落しているのです。
一方、「日々精進」は、日本人が受け入れた思想の一つで、飛び級という概念こそありませんが、常日頃から努力していれば恐らく成長するだろうという思想です。
両者とも思想になるんですが、中国の方の思想は、手助けをしてもらって成長するという概念が実は存在していて、それらは人格者でないと誰もその人物を助けないため急成長は望めないというかなりシビアな考え方です。
ちなみに、荀子の思想は、儒教の思想ゆえ、かなりシビアなものが大変多く、人間は生まれた瞬間から悪人だというのもシビアすぎる考え方になり、人間という生き物自体がすべてにおいて生まれた瞬間から悪人だというシビアな書籍を作り上げ、孟子という人物に対してことごとく反対の意見の書物を作り上げました。