「七転び八起き」と「七転八起」の違いとは?分かりやすく解釈

「七転び八起き」と「七転八起」の違い生活・教育

この記事では、「七転び八起き」「七転八起」の違いを分かりやすく説明していきます。

「七転び八起き」とは?

「七転び八起き」は、その名の通り、七回転んでも再び立ち上がる人のことでめげない人という意味です。

つまり、転ぶたびに立ち上がることをしているため、7回転べば一回分をプラスして8回立ち上がれば再び歩けるということです。

この言葉に似た言葉に、「七転八倒」というものがありますが、こちらは、災難が降りかかることを意味していて、7回も転んだうえで、8回も倒れているわけですから散々な目にあっている意味になります。


「七転八起」とは?

「七転八起」は、「七転び八起き」という言葉の四字熟語です。

なので意味は、「七転び八起き」と全く同じになります。

なお、「七転八起」は、四字熟語なので中国のことわざだよね?と考える方が多いのですが、これは誤りで、中国の場合、もっとすごい言い方をしてまして、百折不?という言葉で表現していて百回ほど何度も心が折れそうになろうとも不屈の精神で立つという根性論を四字熟語にしています。


「七転び八起き」と「七転八起」の違い

両者は意味自体は同じですが、四字熟語であるか否かが違うポイントです。

「七転び八起き」は、四字熟語にせず、意味を表した言葉で、「七転八起」は、四字熟語です。

「七転び八起き」の例文

・『七転び八起きというが立ち上がれそうにない』
この例は、不屈の精神で立ち上がれというが無理だという例です。

つまり、心がおれており、「七転び八起き」の意味である不屈の精神がありません。

「七転八起」の例文

・『七転八起は言うほど不屈の精神ではない』
この例は、実は、「七転八起」という四字熟語は、言うほど不屈の精神ではないというものです。

なぜなら、中国語のほうがより不屈の精神論であっちは100回心が折れそうになっても立てと言っていますので超根性論になっていて、日本の「七転八起」はそれほど根性論ではありません。

まとめ

「七転び八起き」にしろ、「七転八起」にしろ、根性論でしょ?と言われるとその通りですとしか言えないんですが、実は、この両者の言葉言うほど根性論ではありません。

なぜなら、四字熟語を教えてくれた中国はもっと超がつくほどの根性論でして、「七転び八起き」「七転八起」と同じ意味を持つ言葉に百折不?という言葉を使用しています。

この言葉は、心が百回折れそうになっても不?という部分が不屈の精神で立てという意味になりますので超がつくほどの根性論です。

なお、割と日本のゲーマーさんは心が折れそうになるほどの難易度のゲームを楽しんだりしますので、案外とクソゲーのようなものに対しても不屈の精神で挑む方がいますので中国の百折不?という精神が宿っているとも言えます。

なぜなら、300回ほどコンテニューを繰り返してでもゲームのクリアを目指すなどもはや百折不?以上の何かを感じさせるため、案外とこの超根性論はゲームなんかでは通用するのかもしれません。