「五・一五事件」と「二・二六事件 」の違いとは?分かりやすく解釈

「五・一五事件」と「二・二六事件 」の違い専門用語・業界用語

日本が軍国主義化していく過程で起きた国内事変は「五・一五事件」「二・二六事件」です。

海軍、陸軍両者による国内を揺るがす軍事クーデターとなりました。

この記事では、「五・一五事件」「二・二六事件」の違いを分かりやすく説明していきます。

「五・一五事件」とは?

「五・一五事件」とは1932年5月15日に海軍将校の一団によって引き起こされました。

彼らは内閣総理大臣公邸に侵入し休日でくつろいでいた犬養毅首相を暗殺した事件です。

クーデターと評される事も多いですが実際には計画段階で放棄。

単なる集団テロ計画として実施されています。


「二・二六事件」とは?

1936年2月26日に陸軍の青年将校達が引き起こしたのが「二・二六事件」です。

結果的には軍事クーデター未遂となりましたが将校・下士官・兵合わせて1,558人が軍事クーデターに加わりました。

東京の中心部を占拠、事件は4日間に渡るものとなっています。


「五・一五事件」と「二・二六事件」の違い

前述した通り前者は計画段階で軍事クーデター的要素を放棄しており、集団テロで要人を襲ったにしかすぎません。

その結果、政治政党は終焉。

軍人が政治に干渉するようになった事になります。

後者は昭和維新、尊皇斬奸を合言葉に行動が実行されています。

昭和天皇を担ぎ上げ、陸軍が政治する国家改造計画を図ったのが大きな違いと言っていいでしょう。

「五・一五事件」を解説

・『クーデターから無差別テロへの変化』
「五・一五事件」はクーデター未遂事件と誤認している方も多いと思われます。

確かに政党や財閥を倒して、軍部中心の政府を作ろうとした計画はありました。

しかし決起前の5月13日時点で放棄され、単なる要人襲撃を目的としたテロに変化しています。

・『規模、目標とともに中途半端であった「五・一五事件」
「五・一五事件」は少人数の海軍青年将校と11人の陸軍士官候補生によるもののため「二・二六事件」事件とは全くスケールが違う事件だと言っていいでしょう。

少人数では決起しても起こせる事件は限られており、当初の計画にあった軍閥内閣を樹立は夢物語にしかすぎませんでした。

「二・二六事件」を解説

・『三月事件、十月事件が兆しとなった「二・二六事件」
「五・一五事件」はあくまでもテロであり、クーデター未遂となった1931年の三月事件、十月事件の方が規模は大きく性質は近いと言えるでしょう。

陸軍将校が関与した一連の事件は国家改造を主眼に置かれたものとなりました。

・『陸軍内部の皇道派と統制派の内部抗争』
「二・二六事件」は軍事クーデターの側面を持つと共に陸軍内部の権力闘争の側面を持ち合わせていました。

また皇道派以外にも国体原理派などが存在。

様々な思惑が絡み合った中で事件は起きています。

まとめ

端的にいえば「五・一五事件」は少人数の海軍将校による要人殺害を目的としたテロです。

「二・二六事件」はあくまでも国家改造計画、軍部主導の政治を目指したクーデターだと言っていいでしょう。

加わった人数も大きく違い、実際の事件のスケールは全く違うものとなりました。

また「二・二六事件」は将校としての地位を利用したクーデターなのが「五・一五事件」とは異なる点です。