この記事では、「京都所司代」と「京都守護職」の違いを分かりやすく説明していきます。
京都の歴史を学びましょう。
「京都所司代」とは?
京都所司代(きょうとしょしだい)は京都に置かれていた役所のこと。
またこの行政機関にいた、お役人を京都所司代と呼んでいました。
徳川家に可愛がられた譜代大名から1人選ばれて、この役職についていました。
京都所司代の役割は、京都の治安を守ることです。
ただこれは建て前で、実際は朝廷を監視し西側の大名が悪さをしていないかチェックをおこなっていました。
京都所司代は二条城のすぐ北側に建てられていて、上屋敷や中屋敷などの複数の館にわかれていました。
2020年の夏には京都所司代の建物跡も発掘されて、研究者の間で大きな話題を集めています。
京都所司代は徳川慶喜が大政奉還をおこない、朝廷に政権を返した1867年まで、長きにわたり実権を握っていました。
「京都守護職」とは?
京都守護職(きょうとしゅごしょく)とは、京都を守っていたお役人のこと。
江戸時代の終わりに作られたポジションで、今でいう警察庁長官のような仕事です。
京都守護職の目的は、京都の治安を守ることです。
名ばかりの京都所司代だけでは太刀打ちできないと、幕府があわてて作った役職になります。
実際この頃の京都の治安は入り乱れていて、尊王攘夷を志す武士たちが町を練り歩くなど、不穏なムードがただよっていました。
そのため正義感あふれる松平容保が役職を引き受けて、京都のパトロールをおこなうようになりました。
京都守護職は1862年から江戸幕府が終わる1867年まで、わずか5年で幕を閉じました。
「京都所司代」と「京都守護職」の違い
どちらも江戸時代の役職です。
「京都所司代」と「京都守護職」の違いを、分かりやすく解説します。
・先が京都所司代、後が京都守護職
京都所司代と京都守護職は、どちらも京都の治安を維持するために生まれた役職です。
時間を整理すると、江戸時代の初めに生まれたのが京都所司代です。
およそ250年にわたって実権を握りました。
京都所司代の役職に就けたのは、関ケ原の戦いより前から徳川家の家臣として働いていた「譜代大名」です。
いわば江戸幕府のお気に入りが、この役職になっていました。
朝廷や西の大名の監視が、主な仕事でした。
そして京都守護職は江戸時代が終わりを迎える頃に、おかれた役職です。
幕末の京都の治安はとても悪く、江戸幕府も手を焼くものでした。
何とか封じ込めたいという一心で築かれたのが、京都守護職です。
今でいう警察のような仕事をおこないました。
まとめ
「京都所司代」と「京都守護職」の違いを分かりやすくお伝えしました。
どちらも京都の治安維持のために設置された役職です。
朝廷や大名の監視をしていたのが京都所司代、江戸後期につくられて、町の取り締まりをおこなったのが京都守護職です。
時代背景とあわせて、覚えておきましょう。