和歌山県を主に指す言葉は幾つかあり「紀伊」「紀州」はその代表格と言えます。
それに類した言葉として「南紀」や「紀の国」も挙げる事ができるでしょう。
この記事では、「紀伊」と「紀州」の違いを分かりやすく説明していきます。
「紀伊」とは?
「紀伊」とは奈良時代の713年にはじめて制定された言葉です。
同年の5月に畿内と七道諸国の郡・郷の名を雅字2文字にて名付ける勅令が出た時に「紀伊」は歴史的には初めて登場しています。
元々は「紀の国」と呼ばれていましたが律令制以前は現在の南紀部分を占める牟婁郡は含まれていませんでした。
「紀州」とは?
「紀州」とは「紀伊国」の別称だと言っていいでしょう。
あたまにつく紀の文字は紀の国由来のもとであり、州は地域、国を指す言葉です。
しかし成立についての詳細はあまり知られていません。
1580年代の豊臣秀吉の「紀州」征伐で言葉は使われています。
「紀伊」と「紀州」の違い
「紀伊」は歴史上では令制国の1つ「紀伊」国とその地域を指す場合が多いと言えます。
「紀州」はほぼ地域的に同じ場所を指すため、いわゆる別称と捉えていいでしょう。
「紀伊」は長らく国人衆や寺社勢力の割拠状態が戦国時代以前から続いたため国としてではなく「紀州」と呼ばれる別称が浸透していったのではないかとも考えられています。
「紀伊」の使用例
・『旧国名として利用される場合』
明治以降の大日本帝国海軍の戦艦には旧国名をつけるのが慣例とされ「紀伊」も同様にその名前を歴史に残しています。
しかし江戸時代の幕藩体制では「紀州」藩として呼ばれる事が多いのは興味深いところだと言えるでしょう。
・『地域を示す言葉として使われる場合』
国名と同時に特定の地域を呼称する場合にも多く使われているのが特徴。
紀伊勝浦や紀伊長島など地名にもその名を刻んでいます。
「紀伊」半島としての「紀伊」地域は広大です。
三重県の南勢・志摩・東紀州地域・奈良県の五條・吉野・和歌山県の全域を半島振興法では指定。
滋賀県南部や京都府南部を含める説もあるほどです。
「紀州」の使用例
・『江戸時代の大都市「紀州」和歌山』
「紀州」と表現した場合、後ろに掛かる言葉の代表例として挙げられるのは和歌山でしょう。
紀州和歌山は江戸時代では全国でも十指に挙げられるほど繁栄した街でした。
八代将軍徳川吉宗を輩出した徳川家も「紀州」名義が使われました。
・『和歌山県を代表する果物「紀州」みかん』
15世紀?16世紀頃に「紀州」有田で一大産業となった事から、ミカンにその名前がつけられています。
また和歌山県特産の南高梅にも「紀州」の名前がつけられており、地域の特産品に現在では「紀州」をつける場合が圧倒的と言えるでしょう。
まとめ
「紀の国」を漢字二文字に当てはめたのが「紀伊」であり、勅令により成立しました。
「紀州」は「紀の国」「紀伊」の別称として同じ意味合いを持ちます。
現代では「紀伊」は単なる地域を示す際に使われる事が多いのに対して「紀州」はブランド化傾向が見られました。
「紀州」徳川家、江戸時代の大都市「紀州」和歌山にちなんで特産品にその名前を見る事が多いはずです。