「文明開化」と「明治維新」の違いとは?分かりやすく解釈

「文明開化」と「明治維新」の違い専門用語・業界用語

この記事では、「文明開化」「明治維新」の違いを分かりやすく説明していきます。

2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。

「文明開化」とは?

「文明開化」「ぶんめいかいか」と読みます。

「文明開化」は、「明治時代の日本に西洋の文明が入ってきて、制度や習慣、文化などが、大きく変化した現象」という意味があります。

明治初頭の日本は、近代国家として欧米諸国に認められておらず、その結果、江戸末期に結んだ、「不平等条約」を改正してもらうことができていませんでした。

そのため、明治政府は、列強に近代国家と認めてもらえるよう、近代化を進める必要がありました。

近代化は西欧化だと考え、「欧化政策(おうかせいさく)」を進めます。

その結果、文化や制度、風俗や習慣が、短期間でヨーロッパ風になっていきます。

この時代を象徴する言葉として、「散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」という言葉があります。

「散切り頭」は、西欧風の髪形を意味します。

「文明開化」の時代に、着物が洋装になり、現在も人気の高い洋食が推奨されるなどして、今の日本の様子に近づいていきました。


「明治維新」とは?

「明治維新」「めいじいしん」と読みます。

「明治維新」は、「徳川幕藩体制が崩壊し、明治新政府による中央集権的統一国家が成立し、資本主義化の出発点となった政治的、社会的変革のこと」という意味があります。

嘉永6年(1853)、浦賀沖にペリー率いる蒸気船2隻と艦船4隻が来航します。

これは「黒船来航(くろふねらいこう)」と呼ばれる事件で、「明治維新」のきっかけを作ったと言われています。

艦隊は江戸湾の奥深くまで侵入します。

江戸湾の奥には江戸城がありました。

この事件で幕府は恐怖を覚え、後に不平等条約と呼ばれる「日米和親条約」「日米通商航海条約」を結ぶことになります。

これを契機に、「尊王攘夷(そんのうじょうい)」という、列強を倒し、天皇をトップにいただくことを目指すスローガンが生まれ、「倒幕(とうばく)」の気運が高まります。

それ以降の幕府が権力を手放し、薩長土肥が中心となる新政府が生まれた「大政奉還(たいせいほうかん)」「王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)」、さらに「戊辰戦争(ぼしんせんそう」などの一連の流れを「明治維新」と呼びます。


「文明開化」と「明治維新」の違い

「文明開化」「明治維新」の違いを、分かりやすく解説します。

「文明開化」「明治維新」は、どちらも明治時代周辺で起こった出来事を指すという共通点があります。

ただし、「文明開化」は明治時代に日本がヨーロッパ風に変化する現象を意味する言葉なのに対して、「明治維新」は、幕府が倒れて、新政府による中央集権国家が生まれる一連の流れを意味する言葉という違いがあります。

まとめ

「文明開化」「明治維新」の違いについて見てきました。

2つの言葉には明確な意味の違いがありました。

2つの言葉の意味の違いを知ることで、幕末から明治への日本の移り変わりが理解しやすくなるかもしれません。