この記事では、「元禄文化」と「化政文化」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「元禄文化」とは?
「元禄文化」は「げんろくぶんか」と読みます。
「元禄文化」は「江戸時代前期の元禄年間前後の文化のこと」という意味があります。
1688年から1704年の元号が「元禄」です。
この時期に、農村における商品作物生産の発展、都市町人の台頭による産業の発展、経済活動の活発化などが起こります。
景気が良くなったことにより、文芸や学問、芸術の著しい発展が起こりました。
この時代の主役は、豊かになった町人たちで、場所は上方と呼ばれていた大阪や京都が中心となり、華やかな文化を彩ることになります。
この時代に生まれた尾形光琳の絵『燕子花図?風(かきつばたずびょうぶ)』は、国宝に指定されています。
また松尾芭蕉の『奥の細道』が生まれたのも根時代です。
歌舞伎では初代・市川團十郎が「荒事」によって大人気になります。
小説では井原西鶴の『好色一代男』がベストセラーになり、近松門左衛門の『曽根崎心中』も、この時代に書かれています。
「化政文化」とは?
「化政文化」は「かせいぶんか」と読みます。
「化政文化」は「江戸時代後期、文化文政期の文化のこと」という意味があります。
文化文政は1804年から1830年で、文化文政を略したのが「化政」です。
この時代の文化の中心地は江戸で、主役は江戸の町人たちでした。
この時代は娯楽が盛んになり、庶民的な文化が生まれたことで知られています。
例えば、「滑稽本」や「人情本」などの気楽な読み物が流行し、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』がベストセラーになります。
「落語」や「相撲」など、いまでも人気のあるエンターテインメントが人気を博しました。
また「化政文化」を代表するのが「浮世絵」です。
多色刷りの美しい「浮世絵」は、庶民の間で大流行しました。
葛飾北斎の『富岳三十六景』や、歌川広重の『東海道五十三次』などが代表作になります。
「元禄文化」と「化政文化」の違い
「元禄文化」と「化政文化」の違いを、分かりやすく解説します。
「元禄文化」は「江戸時代前期の元禄年間前後の文化のこと」なのに対して、「化政文化」は「江戸時代後期、文化文政期の文化のこと」という時代の違いがあります。
また、「元禄文化」の中心地は、上方と呼ばれた大阪・京都なのに対して、「化政文化」の中心地は、江戸こと東京という違いがあります。
また「元禄文化」を代表する小説が、井原西鶴の『好色一代男』なのに対して、「化政文化」を代表する小説が十返舎一九の『東海道中膝栗毛』という違いもあります。
まとめ
「元禄文化」と「化政文化」の違いについて見てきました。
2つの文化の違いを知ることで、江戸時代の文化の流れを知ることができるかもしれません。