この記事では、「清濁併せ呑む」と「清濁併せ持つ」の違いを分かりやすく説明していきます。
「清濁併せ呑む」とは?
大海のように濁った水でも清い水でも受け入れるような度量の広さを表す言葉で、善悪を問わず来る人は受け入れると言った使い方となり、「清濁併せ呑む人だ」のような形で、個人や団体に対して使われます。
たとえ濁った水を飲める水にできたとしても浄水器などに使うはほぼ言葉ではありません。
政治家などであると度量が広いという面が見られるいい面と、悪い付き合い、黒い付き合いがあるという疑いが掛けられてしまうという悪い面があり、更生の仕事である人と政治家、あるいは役者などでは言葉のニュアンスが変わる部分があります。
更生させる仕事であれば清濁併せ呑むタイプの度量の広さは理想的とも言えます。
「清濁併せ持つ」とは?
善悪の両面を併せ持っているという意味で、基本的には個人に使われる言葉で、動物やAIに対して使うことはない言葉と言えます。
企業に関しては悪意を持って行動している部分がないという建前(結果的に悪であっても)があるため、あまり使われない言葉でもあります。
自動車であれば利便性はあるものの事故の危険性や排ガスの問題があると言えますがも清濁併せ持つとは言わないことが一般的でしょう。
偉人や政治家などに使われることもある言葉で、功績と負の面があると振り返る形で使われます。
普通の人であれば定義や程度にもよりますが善悪両面は持っていても仕方ない部分があるとも言えるため、わざわざ使わない言葉ともなっています。
また、この言葉において善悪の比率まではイメージできず、懲役になった事がある人であっても優しい部分を持っているということもできます。
清濁併せ持つではなく、清いのみの人は聖人、濁りのみの人は悪人と言えなくもありません。
「清濁併せ呑む」と「清濁併せ持つ」の違い
「清濁併せ呑む」と「清濁併せ持つ」の違いを、分かりやすく解説します。
清濁併せ呑むは清いものも濁ったものも受け入れる度量の広い人物や団体といった意味を持ち、清濁併せ持つは清い部分も濁った部分も持っているという意味になり、こちらは個人に使われる傾向が多く偉人の大きな業績や大きな負の業績に対して使われることが多くなっています。
清濁併せ呑む、清濁併せ持つともに子供に対して使うことはほとんどありません。
清濁併せ呑むは人を受け入れられる立場の人物に使われる言葉でもあり、人を救う立場の人などでは純粋に称える言葉になります。
これが政治家になると時代にもよりますが悪い付き合いがあると取られることもあります。
まとめ
清濁併せ呑むは複数人とそれを受け入れるという人や団体の関係性、清濁併せ持つは良い部分と悪い部分があるという個人から発生する言葉となっています。
清濁併せ持つというのは人では当たり前とも言えますが、政治家となると潔白が求められる部分はあります。