「篤志家」と「ボランティア」の違いとは?分かりやすく解釈

「篤志家」と「ボランティア」の違い専門用語・業界用語

この記事では、「篤志家」【とくしか】と「ボランティア」【ぼらんてぃあ】の違いや意味を分かりやすく説明していきます。

「篤志家」とは?

社会が少しでもより良くなるよう金銭で奉仕したり、物を寄付して慈善事業する人のことを「篤志家」【とくしか】と言います。

中途半端な心待ちで行うのではなく、心から助けようとの気持ちが強いため実行することに力を注ぐわけです。

本が買う余裕がない子供達のために本を買って送ったり、食べ物が足りない家庭のために食料を送ることもあります。

公共の福祉を充実したものにするため建物を建てる、修理する費用を出す「篤志家」もいれば、家がない人に住む場所を提供する人もいるわけです。

第三者が困っているときは自らが被災地や貧困層が住む場所に行き、慈善活動して食べ物を配り、どのような状態であったか記憶し、豊かな国の人へ向けて悲惨な惨状を伝える行為はまさしく「篤志家」に見られる活動になります。

自分のことよりも、人のためになりたいと思う気持ちが過酷な状況でも恐れずに入って行き、そこにとどまる忍耐の強さと、いつ病気になるか、強盗に遭うかも分からない現実に根をあげることなく時間と能力を惜しまずに捧げるため見返りをまったく期待しません。


「ボランティア」とは?

自らの意思で思い立ったら現地へ向って人を救ったり、社会貢献することを「ボランティア」と言います。

活動にはお金がかからず、無償で行うため時間とお金に余裕がある人が参加しています。

実際に現地へ行くためある程度その状況を把握し、どのようなものが必要であるか調べてから行くことが必要です。

報酬は支払われないばかりか、お昼ご飯も出ないことも多いので、自分で対処することが求められます。

被災地や飢餓に苦しむ人がいる現場へ行くため、人とのつながりの大切さ、災害ではどのようなことが必要かなど知識を学べるのも「ボランティア」のいいところです。

一人暮らしの高齢者の家に訪問して活動したり、障害者の手助けする、子どもとレクエーション活動し、スポーツして相手になるのも立派な「ボランティア」になりますし、木の間伐して山々を周り、自然環境を整える手伝いしたり、捨てられた動物を保護して面倒を見るなど様々な種類があり、自分がやってみたいと思うものを選び、参加できるときだけ手伝えます。


「篤志家」と「ボランティア」の違い

「篤志家」「ボランティア」の違いを、分かりやすく解説します。

困っている人がいれば金銭的な援助したり、物資を送って助けるのが「篤志家」であり、ときに自らが疫病で苦しむ人たちがいる国へと行って治療したり、看病する人もいます。

国境を越えて困っている人がいれば慈善活動するために行動し、自分が持つ知識や能力を惜しげもなく注ぎ込み、国やそこに住む人を助けますが一銭も受け取りません。

一方の「ボランティア」はお金を出せなくても、行動して現場へ行って掃除したり、人に物を配る手伝いします。

困っている人がいれば水を汲みに行ったり、泥をかき出す、寝所を確保してあげるなど、主に手伝いするのが目的です。

無償で貢献することが目的であり、体一つで現地へ乗り込み、指示された通りに動くため現地ではとても感謝される人力になります。

まとめ

金銭的にも余裕がある人はお金を使って人や国を助けて貢献するのが「篤志家」であり、一方の「ボランティア」は、被災している人を困っている、介護や訪問など今の状況で助けを求めている者の元へ自ら行き、手助けするのが目的であると覚えておくといいでしょう。