この記事では、「偏見」と「持論」と「自論」の違いを分かりやすく説明していきます。
似た雰囲気を持つ、この3つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「偏見」とは?
「偏見」は「へんけん」と読みます。
「偏見」は、「偏った見方や考え方のこと」という意味があります。
ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしに抱く、好意的ではない先入観や判断が見られる場合は、「偏見」という言葉を使うことができます。
「偏見」の言葉の使い方
会社の上司が、若い人は根性がないという決めつけをしてくる場合は、「上司が若い人は根性がないと言うが、それは偏見だ」という文章にできます。
また、先入観なしに、物事を判断することを難しいと感じる場合は、「偏見のない見方をするのは難しい」という文書を作ることができます。
「持論」とは?
「持論」は「じろん」と読みます。
「持論」は、「かねてから主張している自分の意見」という意味があります。
他の人意見ではなく、自分が主張している意見のことを「持論」と呼びます。
「持論」の言葉の使い方
自分が主張している意見が、周囲の人に共感されない場合があります。
このような場合は、「私の持論はまるで共感を得られない」などという文章にできます。
また、自分が主張している意見通りに、物事を進めたのに、うまくいかないと気付いた場合は、「持論が間違っていると気付かされる」などという文章を作ることができます。
「自論」とは?
「自論」は「じろん」と読みます。
「自論」は、「自分の考えや主張」という意味があります。
ただし、「自論」という言葉は、国語辞典などに掲載されていない、正式ではない言葉になります。
「持論」がいつしか「自論」になったと考えることができ、試験などの公式の場では、「持論」を使うようにしましょう。
「自論」の言葉の使い方
背の小さい女性は、気が強いと感じている人が、その考えを周囲の人に告げる場合があるかもしれません。
この場合は、「背の小さい女性ほど気が強いという持論を唱える」という文章にできます。
「偏見」と「持論」と「自論」の違い
「偏見」は、「偏った見方や考え方のこと」という意味があります。
「持論」は、「かねてから主張している自分の意見」という意味があります。
「自論」は、「自分の考えや主張」という意味があります。
「持論」と「自論」は、自分の考えや意見を意味する言葉で、同義語になりますが、「自論」は、正式な言葉ではないため、公式の場では使わないようにしましょう。
また「偏見」は、偏った見方や考え方に関する言葉で、単に自分の考えを意味する「持論」とは意味の違いがあります。
まとめ
「偏見」と「持論」と「自論」の違いについて見てきました。
3つの言葉には、意味の違い、正式かどうかという違いがありました。
3つの言葉の意味の違いを知ることで、混同せずに使い分けることができるようになりそうです。