「毒気を抜かれる」と「唖然とする」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「毒気を抜かれる」と「唖然とする」の違いとは?違い

この記事では、「毒気を抜かれる」「唖然とする」の違いを分かりやすく説明していきます。

「毒気を抜かれる」とは?

ひどく驚かされて呆然とさせられることを指します。

とりわけ、積極的に気負いたった気持ちがはぐらかされる様子を表現する言葉です。

「毒気を抜かれる」は、度肝を抜かれる、どっけを取られるという言葉とも関連しています。


「唖然とする」とは?

驚きや怒りなどの感情で声が出せなくなることを指します。

「唖然とする」は、瞬間的な驚きや感動を表す言葉です。

唖という漢字が「口がふさがって声が出ない」という意味を持つことから生まれました。


「毒気を抜かれる」と「唖然とする」の違い

「毒気を抜かれる」「唖然とする」の違いを、分かりやすく解説します。

「毒気を抜かれる」「唖然とする」は、どちらもひどく驚いてしまうことを表す慣用句ですが、ニュアンスが異なります。

「毒気を抜かれる」は、自分が積極的に頑張ろうと思っていた気持ちが、予想外の事態や出来事によって打ち砕かれる様子を表します。

その一方で、「唖然とする」は、驚きや恐怖などの強い感情によって、声も出せなくなるほど呆然とすることを表します。

「毒気を抜かれる」の例文

・『私は彼女の美貌を目の当たりにして、毒気を抜かれることになった』
・『彼の素晴らしい歌声を聴き、毒気を抜かれてしまった』

「唖然とする」の例文

・『今回の事件の真相を知ったら、全員が唖然とする』
・『私は彼女の告白に唖然とした』

まとめ

「毒気を抜かれる」「唖然とする」の違いとしては、「毒気を抜かれる」が長引く驚きや落胆を、「唖然とする」が瞬間的な驚きや感動を表すという点です。

また、「毒気を抜かれる」は、自分の気持ちがはぐらかされることを、「唖然とする」は、相手の行動や話に反応することを表すという点でも違います。

それぞれの言葉を正しく使い分けられるように注意しましょう。

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