この記事では、「誇り」と「プライド」と「自尊心」の違いを分かりやすく説明していきます。
「誇り」とは?
「誇り」【ほこり】とは、優れている様を名誉に思う気持ち、得意になって優れている様をほかの人に示すことです。
使う場合は、主に「誇りを持つ」「誇り高い」などの形で表記します。
具体的には、自分が持つ技術や過去の栄光、または生まれ故郷、学校や職場などの帰属する組織に対し、特別感や優越感を持つことです。
「誇り」は、生きがい、やりがいを持って自分らしく生きるために重要な感覚ともいわれます。
ただし「誇り」が高い人は、人を見下しているように見られやすく、他人に近寄りがたい印象を与えてしまう一面もあります。
「プライド」とは?
「プライド」は、自分の能力や実績に自信があり、それにふさわしい品位を保とうとする気持ちや態度のことです。
そのような気持ちや態度があることは「プライドを持つ」「プライドが高い」と言い、他人から侮辱されることは「プライドを傷つけられる」と表現します。
「プライド」は英語表記の“pride”に由来します。
“pride”は自慢や自信を表す言葉ですが、高慢、うぬぼれといったネガティブな意味も持ち合わせています。
カタカナ語の「プライド」も同様の意味を表し、ポジティブな意味ではゆるぎない自信と気位の高さを示しますが、ネガティブな意味では自信過剰で傲慢な態度を指して使われるようになっています。
「プライドを持つ」というフレーズには自信を持って自分らしく生きる良い印象があるのですが、「プライドが高い」になると、どこか高慢でネガティブなイメージを持たれることが少なくありません。
「自尊心」とは
「自尊心」【じそんしん】とは「自分は価値がある」「自分は才能がある」と自信を持つ態度のことです。
「自尊心」は読んで字のごとく「自らを尊いと思う心」で、「自尊心」を強く持っていることを「自尊心が高い」と言います。
「自尊心」が高いは自信家で堂々として見える良い反面、「自尊心」が高過ぎるのはかえって良くないといわれます。
「自尊心」は言い換えると「自己肯定感」が高い状態です。
自己肯定感は自分の価値を認める感覚で、幸福感を得ながらのびのび生きていくために欠かせません。
ただし「自尊心」が高過ぎると、態度が大きく自己中心的な割に実際の能力や実績が伴っていない印象を与え、周りから「傲慢」「思いやりに欠ける」というネガティブな評価を受けるようになってしまうのです。
「誇り」と「プライド」と「自尊心」の違い
「誇り」「プライド」「自尊心」は、いずれも「優れた能力や実績を自覚して確固たる自信を持っていること」を表しています。
これら3つの言葉は互いに類語の関係にあり、ほとんど同じ意味を表していますが、ニュアンスには微妙な違いがあります。
「誇り」は、自身の能力や実績を名誉に思うこと。
「プライド」は、自身の能力や実績にふさわしい品位を保とうとすること。
「自尊心」は自分を肯定する感覚が強いことです。
「誇り」や「プライド」を持つ人は、他人からもその優れた能力や実績が評価されている状況にあります。
適度な「誇り」や「プライド」は嫌みがありません。
「自尊心」は、他人からの評価に関係なく自分をたたえる感覚です。
「自尊心」が高いと嫌みに思われ「単に自分のことが大好きな人」で片づけられてしまいます。
まとめ
「誇り」「プライド」「自尊心」は、互いに類語の関係にあり言い換えが可能です。
ただしニュアンスには微妙な違いがあります。
意味が混同しやすいので、それぞれの意味の違いを確認しておきましょう。