この記事では、「雀百まで踊り忘れず」と「三つ子の魂百まで」の違いを分かりやすく説明していきます。
「雀百まで踊り忘れず」とは?
雀百まで踊り忘れずとは、幼い頃に身につけた習慣やクセ、若い頃の道楽は年をとっても変わらないという意味のことわざです。
雀は成長してからもちゅんちゅんと飛び跳ねており、その様子を踊りに例えています。
若い時に身についた習性は、年を重ねても変わることがないことを表しているのです。
「三つ子の魂百まで」とは?
三つ子の魂百までとは、幼い頃の性質は大人になっても変わらないという意味のことわざです。
三つ子は3歳の子どもという意味になりますが、幼い子ども全般を表しています。
百も具体的に100歳までといっているわけではなく、亡くなるまでといった意味合いで使われています。
「雀百まで踊り忘れず」と「三つ子の魂百まで」の違い
雀百まで踊り忘れずは幼い頃に身につけたものは大人になっても変わらないという意味で、三つ子の魂百までは幼い頃の性質は大人になっても変わらないという意味です。
三つ子の魂百までは生まれ持った性格を指していて、後から身につけた習慣などは入りません。
雀百まで踊り忘れずの場合、元々の性格ではなく習慣など身につけたものを指しています。
また、子どもではなく大人になってから身につけた道楽などを指す場合もあります。
「雀百まで踊り忘れず」の例文
・『雀百まで踊り忘れずというようにあの人の浪費癖はなおらない』
・『還暦になっても浮気をするなんて雀百まで踊り忘れずだ』
「三つ子の魂百まで」の例文
・『三つ子の魂百までというか几帳面な性格は相変わらずだ』
・『あの子が頑固なのは小さい頃からでまさに三つ子の魂百までだ』
まとめ
雀百まで踊り忘れずは幼い頃に身につけたものは大人になっても変わらないという意味で、三つ子の魂百までは幼い頃の性質は大人になっても変わらないという意味です。