この記事では、「痛切の極み」と「痛恨の極み」の違いを分かりやすく説明していきます。
「痛切の極み」とは?
とても残念な状況を恨むことを「痛切の極み」【つうせつのきわみ】といいます。
自分の知識や才能が不十分であるがゆえに人へ迷惑をかけてしまったとか、利害を与えてしまうとき強い反省する気持ちを表す言葉です。
とくに、人が急に亡くなり、仕事に支障をきたす、世の中の人に衝撃を与えたという場合に使われています。
「痛恨の極み」とは?
この上ないほど状況が残念に感じては悔やまれることを「痛恨の極み」【つうこんのきわみ】といいます。
酷く後悔するほど恨めしいことが起きたときの悔やむ気持ちを表す言葉です。
例えば、負けていると分かっていながら国民を戦場へと送り出す人の悔やむ気持ちを表します。
それほど自分が加担して物事が悪い方向へ進んでしまった失敗を悔やむ状況において使うわけです。
「痛切の極み」と「痛恨の極み」の違い
「痛切の極み」と「痛恨の極み」の違いを、分かりやすく解説します。
自分の愚かな行動や発言により世間を驚かせたり、暗い気持ちにさせたことを深く反省する意味で使われているのが「痛切の極み」です。
もう一方の「痛恨の極み」は、自分の判断ミスにより酷い結果になって酷く後悔するときの気持ちを表します。
「痛切の極み」は切り刻んだような痛みを感じる衝撃を人に与えたときに使い、「痛恨の極み」は悔やまれることをしたとき反省する気持ちを表す言葉です。
「痛切の極み」の例文
・『長年お世話になった恩師の死去に痛切の極みを感じた』
・『学位の授与式が中止されたことは、学校側として痛切の極みである』
「痛恨の極み」の例文
・『選手が大怪我した原因が自分にあるのが痛恨の極みだ』
・『日本を戦争に導くことになる決断はまさに痛恨の極みだ』
まとめ
「極み」を使った言葉ではありますが、「痛恨」と「痛切」に違いがあります。
それぞれの意味を調べてみれば、言葉の使い方がよく見えてくるでしょう。