この記事では、「習うより慣れよ」と「亀の甲より年の劫」の違いを分かりやすく説明していきます。
「習うより慣れよ」とは?
「習うより慣れよ」は、「ならうよりなれよ」と読みます。
意味は、「人に教わるよりも、自分で実際にやって経験を重ねた方がよく身につくという教訓」です。
人に教わって頭で覚えるよりも、実際にやってみた方が思考と行動のバランスが取れて、早く、しっかり身につくという教えの言葉です。
「習うより慣れよ」の言葉の使い方
「習うより慣れよ」は、ことわざとして使われます。
「習う」は「知識や技芸を、人から教わって覚えること」という意味、「慣れよ」の「慣れ」は動詞「慣れる」の連用形で「経験を重ねてそのことがうまくできるようになる」という意味、「よ」は「相手に知らせたり、言い聞かせたりする意の語」、全体で「知識や技芸を、人から教わって覚えるより、経験を重ねてそのことがうまくできるようになりなさい」になります。
「慣れよ」はやや堅苦しい表現で、最近では「慣うより慣れろ」として使われることもあります。
「亀の甲より年の劫」とは?
「亀の甲より年の劫」は「かめのこうよりとしのこう」と読みます。
意味は「年長者の知識や経験は、非常に価値があるものだということのたとえ」です。
「亀の甲より年の功」とも言いますが、意味は同じです。
「亀の甲より年の劫」の言葉の使い方
「亀の甲より年の劫」は、ことわざとして使われます。
「亀の甲」は、後に続く「年の劫」の韻を踏んでいます。
「劫」は「きわめて長い時間」のことで、「万年生きるとされる亀の甲羅よりも、年長者が長年かけて身に付けた知識や技術の方が貴重であること」になり、転じて「年上の人の言うこには従うべきである」という教訓としても使われます。
「習うより慣れよ」と「亀の甲より年の劫」の違い
「習うより慣れよ」は「知識や技芸を、人から教わって覚えるより、経験を重ねてそのことがうまくできるようになりなさい」という意味です。
「亀の甲より年の劫」は「年長者の知識や経験は、非常に価値があるものだということのたとえ」、転じて「年上の人の言うこには従うべきであるという教訓」です。
まとめ
今回は「習うより慣れよ」と「亀の甲より年の劫」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。