この記事では、「お里が知れる」と「本性を露にする」の違いを分かりやすく説明していきます。
「お里が知れる」とは?
「お里が知れる」は「おさとがしれる」と読みます。
意味は「言葉遣いや振る舞いにより、その人の生まれや育ちが悪いことが分かってしまうこと」です。
無作法である、言葉遣いが乱暴であるなどにより、田舎者で洗練されたマナーを身に付けていないと見受けられる様子を表します。
「お里が知れる」の言葉の使い方
「お里が知れる」は、ことわざ・慣用句として使われます。
「里」は「生まれ故郷」「ふるさと」という意味ですが、「お」が付いて「お里」になると「実家の尊敬語・美化語」から転じて「言動の端々に表れる、生い立ちや経歴」という意味、「知れる」は動詞「知る」の可能動詞で「知ることができる」「自然にわかる」という意味、「お里が知れる」で「言動の端々に良くない生い立ちや経歴が表れ、自然に分かること」になります。
「本性を露にする」とは?
「本性を露にする」は「ほんしょうをあらわにする」と読みます。
意味は、「隠されていた悪い要素や性質が明らかになること」です。
それまで好人物演じてきたのが、あるきっかけにより、悪い面をむき出しにしてしまい、周囲の人に見せてしまうことを表します。
「本性を露にする」の言葉の使い方
「本性を露にする」は、日常でよく使われます。
「本性」は「本来もっている気質」「生まれながらの性質」という意味、「露」は「むき出しではっきりと見える様子」「気持ちなどを、隠さずに公然と示す様子」という意味、「本性を露にする」で、「本来持っている良くない気質を、周囲にはっきりと見せる様子」になります。
「お里が知れる」と「本性を露にする」の違い
「お里が知れる」は「言動の端々に良くない生い立ちや経歴が表れ、自然に分かること」です。
「本性を露にする」は「本来持っている良くない気質を、周囲にはっきりと見せる様子」です。
まとめ
今回は「お里が知れる」と「本性を露にする」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。