この記事では、「神髄」と「極意」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「神髄」とは?
武術について心得を習得し、身につけることを「神髄」【しんずい】といいます。
また、自ら習おうとするとき、学んでおくべき精神論を指す言葉です。
「芸の神髄を極める」といえば、この道の奥義について知識を学び、いかに美しく手足を動かせるか何度も動きをつけては身に付けていくことが大事になります。
元々は嘘がないという意味の「真」と、物事の中心といった意味合いの「髄」を掛け合わせた言葉です。
「極意」とは?
物事の本質を追求することを「極意」【ごくい】といいます。
「極意を会得した」といえば、大切なものは何かその分野における奥義を見て、習得する意を大切にする行為を指すのです。
「芸の極意を得る」というと、俳優として人々を強く惹き付けて、魅了するほどの演技における最も難しい核心を得て、意を尽くしたことを表す言葉になります。
「神髄」と「極意」の違い
ここでは「神髄」と「極意」の違いを、分かりやすく解説します。
作品や仏教、武術といったものについて本当のものを追求し、その分野について習得しては我が物にするという意味で使われているのが「神髄」です。
もう一方の「極意」は本質を追求して物事の奥深くにまで追求することを意味します。
知識がある人が弟子に教えるべき奥義を伝えて、次世代伝授していくという意味がある言葉です。
「神髄」の例文
・『前向きに練習し続けてきた選手の生き方に神髄を見た』
・『50年の長きに渡り、舞台で活躍した彼は俳優の神髄といえる』
「極意」の例文
・『顧問から教わった野球で打てる極意を身に付けた』
・『習ってから30年経った今でも空手の極意を追求する』
まとめ
その分野を追求しては身に付けるために使われている言葉を2つ取り上げましたが、どのようなものを追求するかに目を向けて、使い分けてみましょう。