この記事では、「気の毒」と「可哀想」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「気の毒」とは?
自分のことのように気になるほど同情してしまうとき「気の毒」【きのどく】といいます。
私の心にとって毒と感じる出来事で悩む人に同じ気持ちになり、決して見過ごせないときに使う言葉です。
このように思う場面としては、みなが休憩しているのに1人だけ上司に叱られている人を見たり、ご飯も食べれずたくさんの作業を任されている工員を見たときです。
「可哀想」とは?
哀れと感じるほど気の毒な状態の人を見たとき「可哀想」【かわいそう】と思います。
例えば、骨折しているというのに、過酷な作業を任される作業員の姿を見たり、嫌がっているのに好みではない人に付きまとわれている女性を見たなど、同情する気持ちが芽生えた際に使う感情表現の言葉です。
とくに、力が弱い子供が大人に虐待されている姿を見ると「可哀想で見ていられない」といった辛い気持ちになります。
「気の毒」と「可哀想」の違い
「気の毒」と「可哀想」の違いを、分かりやすく解説します。
放ってはおけないほど人が過酷な労働させられていたり、お腹を空かせながら作業する姿を見たとき「気の毒」と感じます。
もう一方の「可哀想」は見ているのが辛くなるほど胸が締め付けられる酷い状態を見たときに感じる気持ちです。
「気の毒」は人が不幸にぶつかる姿を見たとき心が痛む状態を指しますが、「可哀想」は不憫と感じる人に同情する気持ちが強く出たとき使います。
「気の毒」の例文
・『夜遅くまで練習したのに、気の毒な結果となってしまう』
・『勇気を持って訴えた被害者が法廷で倒れて気の毒だった』
「可哀想」の例文
・『お金があれば世間から認められると思う友人は可哀想だ』
・『背が低いからと彼女に振られた兄は可哀想だ』
まとめ
相手に同情するとき沸く感情表現として使える言葉を2つご紹介しました。
ただ、どのような場面で使えばより自分の心を伝えられるか、確かめてみるといいでしょう。