「藁にもすがる」と「苦しい時の神頼み」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「藁にもすがる」と「苦しい時の神頼み」の違いとは?違い

この記事では、「藁にもすがる」「苦しい時の神頼み」の違いを分かりやすく説明していきます。

「藁にもすがる」とは?

もう駄目と感じる切羽詰った状況に陥ったとき、人は何でも掴めるものであれば頼りにしてしまうという意味がある言葉が「藁にもすがる」【わらにもすがる】です。

藁は少しの力でも簡単に切れてしまうほど頼りがないものですが、それでもお金を失って生活ができないとか、怪我して動けないという状況ではついすがってしまう究極の段階に追い込まれた人の気持ちを表します。


「苦しい時の神頼み」とは?

自分が追い詰められて逃げられないときだけ神様に助けを求めるという意味で使われている言葉が「苦しい時の神頼み」【くるしいときのかみだのみ】です。

いつもは神様など信じない人が、追い込まれたときだけ急に神様に助けて欲しいと祈る都合がいい考え方から、苦しいと思うとき他人を頼る考えはずうずうしいと思わせます。

このように、かなり切羽詰った苦しい時に人に頼りすがる行為は酷いと思う言葉です。


「藁にもすがる」と「苦しい時の神頼み」の違い

「藁にもすがる」「苦しい時の神頼み」の違いを、分かりやすく解説します。

生活ができないほど困窮した現実から逃げたい、人に追い詰められて困ったとき人は何かにすがって助けてもらいたいと思うとき「藁にもすがる」のです。

言葉の由来は、溺れた人が藁にすがるという状況から追い込まれた人は法律を犯す人であっても助けてもらいたいとすがってしまい、後からになって災いが降りかかります。

もう一方の「苦しい時の神頼み」は、かなり苦しい状況に追い込まれたときだけ神様にすがる人の行為を指す言葉です。

「藁にもすがる」の例文

・『人に騙されて全財産を失った時、藁にもすがる思いで知人を頼った』
・『男に追い込まれた女性は藁にもすがる思いで近くの家に助けを求めた』

「苦しい時の神頼み」の例文

・『癌の弟は苦しい時の神頼みで、信仰心を持って祈るようになった』
・『試験前なのに勉強していない妹は、苦しい時の神頼みと祈った』

まとめ

人は精神的に弱ったとき、どうも頼る傾向が見られます。

そのようなとき使うことわざを学び、どう使えばより切羽詰っている自分の状態をうまく伝えられるか示してみましょう。

違い
違い比較辞典