この記事では、「散見される」と「見受けられる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「散見される」とは?
「散見される」は「さんけんされる」と読みます。
意味は「あちこちで人の目に付くこと」です。
あるものごとが、ふと気が付くと目に入って来る様子を表します。
「散見される」の言葉の使い方
「散見される」は動詞として「散見される・された」として使われます。
「散」は「ち(る)」とも読み「四方にちらばる」「ばらばらになる」「とりとめがない」という意味、「見」は「み(る)」とも読み「目で見る」「見かた」「考え」という意味、「される」は動詞「する」の受身形、「散見される」で「あちこちでまばらに見えること」になります。
基本的に、実際にある物が目で見える状態にあったり、はっきり分かる根拠があることに使われます。
「見受けられる」とは?
「見受けられる」は「みうけられる」と読み、意味は以下の通りです。
1つ目は「ある物が、たまたま目にとまる」という意味です。
2つ目は「はっきりとそうであるという根拠はないが、見てそう判断できること」という意味です。
「見受けられる」の言葉の使い方
「見受けられる」は動詞として「見受けられる・られた」としてつかわれます。
「見」は動詞「見る」の連用形で「視覚でとらえる」「観察し、判断する」という意味、「受け」は動詞「受ける」の連用形で「自分の方に向かってくるものを、支え止めること」「差し出されたものを自分の方に取り入れる」という意味、「見受けられる」で、「目にとまること」「目で見て自分の中でその様に判断すること」になります。
「散見される」と「見受けられる」の違い「散見される」は「あちこちでまばらに見えること」です。
「見受けられる」は「目にとまること」「目で見て自分の中でその様に判断すること」です。
まとめ
今回は「散見される」と「見受けられる」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。