この記事では、「一寸の虫にも五分の魂」と「小さくとも針は飲まれぬ」の違いを分かりやすく説明していきます。
「一寸の虫にも五分の魂」とは?
「一寸の虫にも五分の魂」とは、どんなに小さな虫にも命があるのだから、粗末に扱ってはいけないことを意味しています。
そこから、どんなに小さく弱い者であっても、感情があり、意地や誇りを持っているのだから、侮ったり、馬鹿にしてはいけないという戒めのたとえになっています。
ちなみに、「一寸」は尺貫法で約3㎝にあたり、「五分」はその半分の約1. 5㎝を指しています。
「小さくとも針飲まれぬ」とは?
「小さくとも針飲まれぬ」は「小さくとも針は呑まれぬ」とも表記し、小さくても侮れないものがあり、軽視してはいけないという戒めのたとえです。
「一寸の虫にも五分の魂」と「小さくとも針飲まれぬ」の違い
「一寸の虫にも五分の魂」と「小さくとも針飲まれぬ」の違いを、分かりやすく解説します。
「一寸の虫にも五分の魂」と「小さくとも針飲まれぬ」はどちらも同じような意味があり、小さくても侮ってはいけないということわざです。
そのため、「一寸の虫にも五分の魂」と「小さくとも針飲まれぬ」は、ほぼ同じような意味合いで用いられ、違いはほとんどありません。
「一寸の虫にも五分の魂」の例文
・『「一寸の虫にも五分の魂」の類語には、「蛞蝓(なめくじ)にも角(つの)」などがあります』
・『「一寸の虫にも五分の魂」の対義語には、「独活(うど)の大木(たいぼく)」などが挙げられます』
「小さくとも針飲まれぬ」の例文
・『「小さくとも針飲まれぬ」の類語には、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」などがあります』
・『「小さくとも針飲まれぬ」の対義語には、「大男総身(おおおとこそうみ)に知恵が回りかね」などが挙げられます』
まとめ
今回は「一寸の虫にも五分の魂」と「小さくとも針飲まれぬ」の意味や違いなどについてご紹介してきました。
「一寸の虫にも五分の魂」と「小さくとも針飲まれぬ」、それぞれの言葉の意味や違いを知ることで、より適切に使えるようになるでしょう。