この記事では、「韻を踏む」と「ダジャレ」の違いを分かりやすく説明していきます。
「韻を踏む」とは?
「韻を踏む」は「いんをふむ」と読みます。
意味は、「言葉の母音・子音が同じで、違う言葉に言い換え、リズムを揃える技法」です。
言葉の流れや語尾が同じで、違う意味の言葉が使われることで、「いいぞ、どうぞ」などがあります。
「韻を踏む」の言葉の使い方
「韻を踏む」は詩歌など文章の技法として使われる言葉です。
「韻」は「言葉のひびき」「詩や文章で、同一または類似の音を、特定の場所に繰り返して用いること」という意味、「踏む」は[ 足で体重をかけて上から押さえる」から転じて「句の末や頭に同じ韻に属する文字を用いる」という意味、「韻を踏む」で、「詩歌や文章で、同じまたは似た様な音の文字を繰り返して用いること」になります。
基本的に、言葉の流れやリズムを整える効果として使われます。
「ダジャレ」とは?
「ダジャレ」とは、「同音異義語、またはその様に聞こえる言葉を使い、ユーモアを感じさせる表現」という意味です。
全く同じ音で違う意味の言葉を使うこともあれば、こじつけた様な表現を使うこともあります。
「ダジャレ」の言葉の使い方
「ダジャレ」は名詞として「ダジャレを言う・言った」「ダジャレ好き」などと使われます。
漢字で「駄洒落」と書き、「駄」は「つまらない」「ねうちがない」という意味、「洒落」は「ある文句をもじったり、同音や似た音の言葉に掛けて言ったりする、気の利いた言葉」という意味、「ダジャレ」で「ある言葉をもじったり、似た音の言葉に言い換える、つまらない言葉遊び」になります。
「韻を踏む」と「ダジャレ」の違い
「韻を踏む」は「詩歌や文章で、同じまたは似た様な音の文字を繰り返して用いること」です。
「ダジャレ」は「ある言葉をもじったり、似た音の言葉に言い換える、つまらない言葉遊び」です。
まとめ
今回は「韻を踏む」と「ダジャレ」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。