日本の高度経済成長期を代表する路線だった青函連絡船と現代のカーフェリーを徹底比較!
この記事では、「青函連絡船」と「青函カーフェリー」の違いを分かりやすく説明していきます。
「青函連絡船」とは?
1988年に青函トンネルの開通により、航路は廃止となりましたが、60〜70代以上の方は実際に使われた機会も多いのでは無いでしょう。
また昭和の歌謡曲にも本連絡船をモチーフとして描かれた曲は多く、なかでも石川さゆり氏の歌う“津軽海峡・冬景色”はその代表と言っていいでしょう。
実際に津軽海峡に碑も立っているほどです。
その歴史は古く供与開始は1908年と明治時代にまで遡ります。
国鉄が運営していた青森駅と函館駅を結ぶ鉄道連絡船ですが、民営化に伴い廃止までの僅かな期間はJR北海道により供与されました。
同曲が昭和の歌謡曲に使われるのは昭和の日本における高度経済成長期を彩る路線だった事が挙げられます。
最盛期には1日30便以上が運航されていました。
「青函カーフェリー」とは?
千葉県木更津市に本社を置く共栄運輸と北海道函館市に本社を置く北日本運輸が2022年4月1日付で合併。
『青函フェリー株式会社』としてスタート。
両者ともに主な事業内容が函館と青森を結ぶカーフェリーの運航、一般旅客定期航路事業として発表している事から同社のカーフェリーを指すのが一般的だと言っていいでしょう。
年輩の方にとってはかつて青函連絡船運航時代の民間企業の『東日本フェリー』の運航便や現在も運航している『津軽海峡フェリー』を指す場合も存在します。
「青函連絡船」と「青函カーフェリー」の違い
「青函連絡船」と「青函カーフェリー」の違いを、分かりやすく解説します。
「青函連絡船」は国有企業の国鉄による運営でその企業の一生をほぼ終えたと言っていいでしょう。
英国から客船を購入してスタート。
車を運搬する事も可能ではありましたが、その数は微々たるものでした。
「青函カーフェリー」は2022年4月1日に「青函フェリー株式会社」が誕生。
同社のカーフェリーを指します。
但し広義的に捉えれば現在も青森〜函館路線を運航する『津軽海峡フェリー』社の運航路線も入ると言えるでしょう。
実際に利用する客にとっては運営会社と函館発着波止場が違うだけで青函ルートのカーフェリーに違いはありません。
それゆえに「青函カーフェリー」と言った場合は広義の場合で使われていく可能性が高いと言っていいでしょう。
まとめ
「青函連絡船」は1988年に運航が廃止された『国鉄(JR)』青森〜函館間を結ぶ旅客船。
車の積載数はさほど多くありませんでした。
「青函カーフェリー」は狭義で言えば現在の『青函フェリー株式会社』が運航するカーフェリー。
ただし広義的な意味では青森〜函館間を運航するカーフェリー全体を指す総称です。
実際に利用客に使用されるケースは圧倒的に総称が多いと言えるでしょう。
似たケースは「青函連絡船」運航時代にもあり、同運航ルートの民間フェリーも「青函連絡船」と呼ぶ事は珍しくありませんでした。