ないちゃーにも解りやすく琉球王国の歴史を解説!
この記事では、「第一尚氏」と「第二尚氏」の違いを分かりやすく説明していきます。
「第一尚氏」とは?
琉球王国の成立は1429年の事。
それまでは本州と同様に豪族の群雄割拠の勢力図版が描かれていました。
いわゆる本州における古墳時代や奈良時代を思い浮かべると解りやすいのではないでしょうか。
これら地方豪族の首長は按司と呼ばれており、12世紀から約200年に渡り争いを続けました。
そのなかで頭角を現したのが佐敷按司・巴志であり、当初は父親である思紹を中山王に就かせています。
父の死去後に自身が後継となり、1429年に南山王・他魯毎を討ち果たして琉球を統一。
翌年明から尚姓を賜った事で晴れて尚巴志を名乗りました。
これが琉球王国における第一尚氏政権の始まりだと言っていいでしょう。
「第二尚氏」とは?
尚円と呼ばれる人物が始祖となりました。
百姓から成り上がった羽柴秀吉は有名ですが、秀吉から100年先駆けて琉球王国の天下人となった人物です。
第一尚氏2代国王尚巴志の7男かつ6代目国王の尚泰久の元で勢力図を築き上げました。
6代目国王の崩御により失脚したもの9年後には立場が逆転。
7代目国王尚徳王の死去後にクーデターを起こすと返す刀で新王国を成立させました。
以降17世紀の薩摩藩による琉球侵攻までその体制は続く事になっています。
「第一尚氏」と「第二尚氏」の違い
「第一尚氏」と「第二尚氏」の違いを、分かりやすく解説します。
実際に区分が付けられる様になったのは尚円がクーデター以降の事です。
1469年の第一尚氏の先代王の重臣金丸が当代王の薨去の混乱に乗じて、クーデターを画策実行。
政権奪取に成功しました。
「第一尚氏」に縁の者が根絶やしになるほどの殺戮を受けたわけではありませんが、世子は殺害され多くの者が追放処分を受ける事になりました。
つまり「第一尚氏」と「第二尚氏」の間に血縁関係はなく、全く別の系統による政権が誕生した事になります。
まとめ
「第一尚氏」は琉球王国を築いた尚巴志の系譜・系統だと言っていいでしょう。
いわゆる始祖系統による本流です。
一方の「第二尚氏」は豪族でもなく百姓から成り上がった尚円が始祖となりました。
「第一尚氏」との間に血縁関係はありません。
前者は7代63年で幕を閉じたのに対して、後者は19代409年その系譜は続く事になりました。
ただし数奇な運命とでも言うべきでしょうか。
7代目尚寧王の時代に薩摩藩の琉球侵攻を受け降伏。
事実上の実効支配を受け、実質的に独立国から半独立国へと転換する事になりました。