ハイブリッドが生まれ明確な違いは消滅?
この記事では、「博多ラーメン」と「久留米ラーメン」の違いを分かりやすく説明していきます。
「博多ラーメン」とは?
90年代半ば以降に豚骨ラーメンは全国規模に進出。
それも初頭の段階では東京、大阪程度で中京圏で店も多くはありませんでした。
そのなかで一大勢力を築き上げたのが「博多ラーメン」だと言っていいでしょう。
一般的なイメージでは同県の「長浜ラーメン」よりもこってり「久留米ラーメン」よりもアッサリの食べ口が一般的なラーメンフリークの定義ではないでしょうか。
博多ラーメンは豚骨清澄スープの『三馬路』、現行白濁スープの『赤のれん』の二店舗が発祥店となり白濁スープ系が潮流になっていったとされます。
いゆる豚骨ラーメンを象徴する細麺は博多ラーメンから生まれたものです。
「久留米ラーメン」とは?
九州の豚骨ラーメンの元祖的存在であり、1937年に現存する「南京千両」の屋台が発祥店舗。
とはいえ当時のスープは現在の白濁スープではなく、澄んだスープが特徴だったとされます。
それが徐々に現地の久留米市民の嗜好から徐々に白濁濃厚に変化。
旨みの深さ、コクが薄い物から濃い物へ変化して言ったのが正しい認識でしょう。
「博多ラーメン」と「久留米ラーメン」の違い
「博多ラーメン」と「久留米ラーメン」の違いを、分かりやすく解説します。
九州の豚骨ラーメンの生みの親は「久留米ラーメン」が発祥で1937年に生まれました。
「博多ラーメン」はその後の1938年〜1940年に掛けて同じく屋台から生まれたものです。
当時の主流は清澄なスープが主流。
久留米ラーメンもまだ半濁程度のスープで澄んだスープだったと言います。
太平洋戦争直前に「博多ラーメン」に完全な白濁スープを提供する店が登場。
澄んだスープ系の店を淘汰する形で潮流に乗り、現代にいたっています。
また豚骨ラーメンに細麺を定着させたのも「博多ラーメン」だと言って過言ではありません。
まとめ
豚骨ラーメンが全国的に進出後に和歌山ラーメンなど豚骨醤油ラーメンブームが訪れました。
テレビ番組でも週刊誌でも90年代半ば以降はいわゆる“ラーメン史”が数多の媒体で取り上げられていますが、実情と記事が必ずしも合致しているとは限りません。
九州の豚骨ラーメンの発祥地は「久留米ラーメン」であり、1937年の事で当時は澄んだスープであっさり味だったと言います。
その後1938年〜40年に「博多ラーメン」が誕生。
こちらもあっさり系のスープが潮流だったもの、次第に白濁、濃厚系コクのあるスープが潮流となっていきました。
現在では「久留米ラーメン」が九州のラーメンで一番濃厚なコクのあるラーメンだと言われています。
しかしそれは時代と地域の客のニーズに応じて変化したものだと言えるでしょう。
現在では細麺がほぼ全域で定着、ハイブリッドスタイルも生まれるなど定義はより複雑化しています。