この記事では、「超絶」と「超越」の違いや使い方を分かりやすく説明していきます。
「超絶」と「超越」の違い
「超絶」には、3つの意味があります。
1つめは、物事の度合いが他のものよりもはるかに遠く離れていて優れていることです。
2つめは、他とはかかわりなく、より高い位置にあることです。
3つめは、カント哲学の言葉です。
「超越」の主な意味は2つあります。
1つめは、一般的に考えられる程度をはなはだしくこえることです。
もう一つはこれよりも上、これよりも外は無理だというぎりぎりの範囲をこえていることです。
どちらの言葉にも「こえる」の意味が含まれていますが、同じ意味を持つ言葉なのではありません。
「超絶」は優れていることを表す言葉です。
優れている程度は並ではなく、他と比べてはなはだしく離れています。
能力だけでなく、立場についてもいいます。
「超越」は枠を超えることを表す言葉です。
人間が持っている能力には限りがあるという考えが存在します。
限りがあっても、それを超えることは可能です。
そこを超えることを意味する言葉です。
人間の能力だけでなく、時代の枠や世間の枠などを超えることもいいます。
「超絶」と「超越」使い方の違い
はるかに優れていることを指して「超絶」を使用します。
「すごい」という意味合いで副詞的な使われ方もします。
枠を超えることを指して「超越」を使用します。
「超絶」と「超越」の英語表記の違い
「超絶」は英語で“superlative”や“transcendent”と表現をします。
「超越」は英語で“transcendence”と表現をします。
「超絶」の意味
「超絶」には3つの意味があります。
1つめは、他のものよりもはるかに度合いが高く優れていることです。
日本人は優れた工芸技術を持っているといわれています。
日本の伝統的な工芸品には、有田焼、南部鉄器、江戸切子、西陣織、博多人形などがあります。
日本人は優れた工芸技術を持っているといわれていても、日本人のすべてが有田焼や西陣織などを作れるわけではありません。
商品として販売できるものを作るには、それなりの技術が必要なのです。
一般的な人からすれば、販売できるほどの完成度を持つ伝統工芸品を作れる技術であることは、技術の程度がはるかに高いといえるでしょう。
この言葉は、他よりも程度が高いことを表しています。
2つめは、他とはかかわりなく、より高い位置にあることです。
世間なんて関係ないという態度の人がときどきいます。
この人にとっては、世間はかかわりのない事柄なのでしょう。
そこを離れてより高い位置にあることを「俗世間を超絶する」などといいます。
3つめは、カント哲学の考えの一つです。
「超絶」の使い方
副詞的な使われ方をすることが多いです。
三ツ星レストランは、星を1つも獲得していないレストランと比べて、料理の味がはるかに高いと考えられています。
ステーキでいうと、一般的な店は肉が固かったり、肉のうまみが抜けてしまっていることが稀にあります。
一方、三ツ星レストランでは、口に入れると肉がとろけてしまったり、肉汁が中に閉じ込められていて、噛めばじわーっとうまみがあふれてきたりします。
三ツ星レストランの方が、はるかに味の点で優れているといえるでしょう。
このことを「超絶うまい」などと表現をします。
これが副詞的な使い方です。
副詞は下にくる語を修飾するものです。
先の例でいうと「うまい」を修飾しています。
並みの「うまい」ではないことを表しています。
「超絶」を使った例文
・『超絶した技の持ち主だ』
・『超絶かわいくて卒倒しそう』
・『超絶美しい脚に憧れる』
・『今回も超絶プレーをみせてくれた』
・『超絶おいしいとSNSで話題だ』
「超絶」の類語
めったにないという意味を持つ言葉が類語で「不世出」がそれです。
「超絶」の対義語
他の多くのものと変わらないという意味を持つ言葉が体語義で「平凡」になります。
「超越」の意味
「超越」の主な意味は2つです。
1つめは、当たり前に考えられる程度をはなはだしくこえることです。
2021年時点での100m走世界記録は、ウサイン・ボルトの9秒58です。
この記録が出る前は、100mを10秒以下で走ることは無理だと考えられていました。
100mを走るには10秒以上かかることが当たり前という考えがあったのです。
しかし、ウサイン・ボルトはそれを超えてしまいました。
100mを10秒以下で走るなんて無理と考えられていたときからすると、程度がはなはだしい能力といえるでしょう。
もう一つの意味は、これ以上は無理、これより外に出ることは無理という範囲をこえることです。
そのときどきの時代に、特定の考えがあります。
現在はモーツアルトの作品は優れているとされていますが、彼が生きていた当時は評判がよくなかったようです。
彼が生きていた時代にはあわなかったのです。
時代が彼に追いついていなかった、あるいは彼が時代を超えていたといえるかもしれません。
モーツアルトの作品は、時代「超越」をしていたといえそうです。
「超越」の使い方
何かを超えることに使用をします。
その「何か」とは、能力であったり、時代であったり、世俗であったりします。
わずかに超えていることではなく、はるかに超えていることに使用をします。
生活、態度、考えなどに使われることが多くあります。
「超越」を使った例文
・『もはや人間を超越している』
・『経験を積んでいるからこそ超越できた』
・『従来の走りを超越した新型車』
・『時を超越した存在』
・『超越した戦闘能力』
「超越」の類語
他の多くのものよりも優れているを意味する言葉が類語で、「非凡」や「超凡」がそれです。
「超越」の対義語
他の多くのものと同じを意味する言葉が対義語で、「並」「普通」がそれにあたります。
まとめ
こえるの意味を持つ2つの言葉ですが、一方や能力や立場について、もう一方は考え、態度、生活、枠などについてを指しており、同じ意味を持つ言葉ではありません。
使われる場面も異なります。