「遣隋使」と「遣唐使」の違いとは?分かりやすく解釈

「遣隋使」と「遣唐使」の違いとは?違い

歴史ロマンに迫る!

この記事では「遣隋使」「遣唐使」の違いを分かりやすく説明していきます。

「遣隋使」とは?

初回の遣隋使が送られたのは西暦600年・飛鳥時代の事、また日本という名称は使われておらず倭の国からの使者として618年までに3回以上遣隋使が派遣されています。

隋の首都である長安の大興城へ向かう道のりは厳しいものがありましたが、300年ぶりに中国を統一した隋帝国の文化を学び、新羅を牽制する意味合いでも重要なものであったのは間違いないでしょう。

初回の派遣以降、速やかに冠位十二階や十七条憲法が制定される等、当時の倭国の政治改革に活かされる事になりました。

遣隋使として有名なのは小野妹子が挙げられます。


「遣唐使」とは?

618年に隋帝国が滅亡と唐が成立。

遣隋使に続いて最先端の文明国家である唐から文化、技術を導入するために多くの人物が派遣されています。

300年ぶりに中国を統一した隋の尻馬に乗る形で唐は国外へと積極的に目を向けており、当時の首都長安は世界一の活況だったと言われる状態でした。

派遣回数には12〜20回まで諸説が存在。

派遣期間は約1〜2年、そして派遣間隔はまちまちで2年〜20年の間になります。

遣唐使は文化、技術の導入以上に仏教伝播の大きな役割を果たす事になりました。


「遣隋使」と「遣唐使」の違い

「遣隋使」「遣唐使」の違いを、分かりやすく解説します。

単純に言ってしまえば目的は当時の超大国であった隋と唐から文化、思想、技術など先端知識を学ぶ事だったと言えるでしょう。

違いは派遣する国の違いだけだと言って構いません。

実際に首都は長安で隋唐時代に遷都はなかったため、ほとんど変わる部分はなかったとも言えます。

また近隣の新羅を牽制する目的があったのも共通だと言っていいでしょう。

大きく違う点を挙げればその成果だと言えます。

遣隋使は派遣した回数も少ないのですが、初回から20年後には隋が滅亡してしまいました。

そのため主な成果としては政治改革がメインだったと言えるでしょう。

一方で遣唐使は848年までに少なくとも12回は派遣されたほか、唐からの留学生も迎えいれるなど相互作用を得られたのは間違いないでしょう。

遣隋使とは違って多分野で人事交流、人の往来がありました。

なかでも本格的な仏教伝来は遣唐使を語る1つのパワーワードだと言っていいはずです。

まとめ

遣隋使は600年から618年までの間に3〜5回の派遣が行われたとされます。

その成果は政治改革として即現れており、日本初の憲法でもある十七条憲法の成立や冠位十二階導入に大きな役割を果たしています。

一方の遣唐使は632〜848年までに最低12回は派遣が行われました。

安定した統治により当時世界一の発展を遂げていた長安に赴く価値は遣隋使よりも高かったのは間違いないでしょう。

それは遣隋使以上に遣唐使は多分野で留学など人事交流が行われた事からも明らかです。

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