この記事では、「面倒を見る」と「世話をする」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「面倒を見る」とは?
他者のために力を貸して尽くすという意味で使われているのが「面倒を見る」【めんどうをみる】です。
例えば、養子を貰ったとき、他人の子供で大変だが、あえて困難な事に率先して手を貸し、その人が立派になるよう共に行動します。
手間がかかったり、困難と感じますが、自分が関わればその人が出世したり、売れて有名になると見込んで「面倒を見る」わけです。
「世話をする」とは?
金銭的に苦しい人を自分の家に住まわせて、ご飯を食べさせたり、生活させることを「世話をする」【せわをする】といいます。
力を尽くし、苦しむ相手を楽になるよう手を貸すのです。
使い方としては、今よりも資格を活かせる仕事を紹介するとき、「新入社員の世話をする」といった言い方をして、まだ知識が乏しい者に仕事の仕方を教えてこなせるようにします。
「面倒を見る」と「世話をする」の違い
「面倒を見る」と「世話をする」の違いを、分かりやすく解説します。
自分が尽力したいと思う他者に対して後見人になり、金銭的に支援して応援し、将来的に立派な人にしたいと思うことを「面倒を見る」といいます。
たいていは立場が下の者に対して手を貸す場合が多く、自ら進んで面倒を見たいと思う相手を選んで行うのです。
もう一方の「世話をする」は、快適に住める家を建てたいと思う人に素晴らしい建築士を紹介する行為を指します。
「面倒を見る」の例文
・『引越して飼えなくなった知人のめだかを引き取り、面倒を見る』
・『演技が上手い子供を引き取って、将来は俳優にしようと面倒を見た』
「世話をする」の例文
・『教師になるため上京した知人女性を住まわせて、世話をする』
・『親に捨てられた双子の子供を引き取り、18歳になるまで世話をした』
まとめ
似ている意味で使われている言葉を2つご紹介しましたが、「面倒」と「世話」は少し使い方が異なりますので、どのような状況で使うか学んでみるといいでしょう。