古代ローマと言えば、一時的にはヨーロッパ全土やアフリカの北部を領土とする巨大なエリアを治めていた歴史的にも大きな爪痕を残した国です。
その中で、特に発展したのが「共和制ローマ」の時代から「帝政ローマ」の時代です。
それでは、この「共和制ローマ」とはどういう意味でしょうか。
また、「帝政ローマ」とは、どう違うのでしょうか。
この記事では、「共和制ローマ」と「帝政ローマ」の違いを分かりやすく説明していきます。
「共和制ローマ」とは?
「共和制ローマ」とは、紀元前500年代にヨーロッパに存在した「古代ローマ」の統治形態であり、王が統治する方式から民衆の代表によって統治される形態に移行したものです。
そこでは、執政官と呼ばれる王に代わる代表者が元老院という組織によって選ばれます。
「帝政ローマ」とは?
「帝政ローマ」とは、紀元前27年に誕生した古代ローマの統治形態であり、その後アフリカを含む広大なエリアを占領することになる「ローマ帝国」のことを言います(実際には、ローマが帝政に移行してからローマ帝国が誕生するまでにはがありますが)。
形態としては「皇帝」が国家元首であり、唯一の絶対権力者と存在します。
そのため、皇帝の地位争いによって暗殺が行われることもありました。
「共和制ローマ」と「帝政ローマ」の違い
「共和制ローマ」と「帝政ローマ」の違いを、分かりやすく解説します。
この2つの言葉は、古代ローマの国としての形態であることは同じですが、そもそも時代と統治の仕組みが違います。
前述のように、古代ローマは王様が存在する「王政」の後、民衆が政治を行う「共和制」に移行して、そのあと「帝政」になりました。
すなわち最も大きな違いは、「帝政」には、絶対的な権力者としての「皇帝」が存在することです。
それによって、歴史の授業で習ったような専制的な統治になるが、逆に決定に時間はかかりませんでした。
まとめ
この記事では、「共和制ローマ」と「帝政ローマ」の違いを、解説してきました。
「共和制ローマ」の名前として初めてし輸された「共和制」つまり「republic」という言葉は、現在も多くの独立国家の名前である「共和国」に使われています。
この「republic」とは、もともとはラテン語で「公共の物」をあらわす言葉から来ています。
そして、多くの場合は「君主制」を廃止した後に登場するのが「共和制」ということになります。