この記事では、「駑馬十駕」と「跛鼈千里」の違いを分かりやすく説明していきます。
「駑馬十駕(どばじゅうが)」とは?
「駑馬十駕」とは、「才能がさほどない人でも、努力を積み重ねれば才能を持つ人に並び立つことができることの例え」を意味する言葉です。
「駑馬」は「足の遅い馬」を表し、「駕」は「馬に車をつけて走ること」を表しています。
中国の古典「荀子」が出典であり、もともと、世には1日千里を走破する名馬がいるが、足の遅い馬でも10日走れば、名馬の1日分と同じ距離を走ることができるという意味を指していました。
「駑馬十駕」の使い方
「駑馬十駕」は名詞として使われています。
「跛鼈千里(はべつもせんり)」とは?
「跛鼈千里」とは、「才能が乏しくても、努力を積み重ねれば成功することの例え」を意味する言葉です。
「鼈」は「スッポン」を表してます。
中国の古典「荀子」が出典であり、足の悪いスッポンでも、歩き続けさえすれば千里を移動することだってできるという文節が由来です。
「跛鼈千里」の使い方
「跛鼈千里」は名詞として使われています。
「駑馬十駕」と「跛鼈千里」の違い
「駑馬十駕」と「跛鼈千里」はどちらも主に「才能がなくとも、たゆまぬ努力を積み重ねれば成功できることの例え」という意味を表す四字熟語です。
したがって、2語は類義語の関係に当たると言えます。
ちなみに、どちらも古代中国戦国時代に著された書物「荀子」から生まれた言葉です。
「駑馬十駕」の例文
・『彼は駑馬十駕の思いで鍛錬を続けた』
・『彼女の成功談は駑馬十駕と言える』
「跛鼈千里」の例文
・『跛鼈千里の四字を心に留めて、練習に励んだ』
・『教師は生徒へ跛鼈千里の言葉を贈った』
まとめ
「駑馬十駕」と「跛鼈千里」はいずれも主として意味するところは「才能がなくとも、たゆまぬ努力を積み重ねれば成功できることの例え」です。
もともと、「駑馬十駕」は足の遅い馬でも、走らせていれば名馬と同じ距離を行くことができること、「跛鼈千里」は足の悪いスッポンでも、歩き続ければ千里を行くことができることを意味していました。
同じような意味を含めることから、2語は類義語の関係に当たると解釈できます。