「縁木求魚」と「敲氷求火」の違いとは?分かりやすく解釈

「縁木求魚」と「敲氷求火」の違いとは?分かりやすく解釈違い

この記事では、「縁木求魚」「敲氷求火」の違いを分かりやすく説明していきます。

「縁木求魚」とは?

縁木求魚は、えんぼくきゅうぎょと読むのが正解な言葉です。

漢字で書かれたこの言葉を見れば理解出来る事でしょうが、木に登るといった意味の縁木の漢字に、魚を求めるという意味がある求魚の漢字を付け足す事により完成した言葉となっています。

なので縁木求魚は、方法が間違っているので目的を達成するのが困難である事を表すのです。


「縁木求魚」の言葉の使い方

縁木求魚は、間違った方法を用いて苦労しても何の成果も得られない、という意味の言葉として使われています。

他にも、目的に合致した方法を取らない故に達成が不可能であるという意味の言葉としても使用されているのです。


「敲氷求火」とは?

敲氷求火は、こうひょうきゅうかと読むのが正しい読み方となっています。

文字で記されたこの言葉を目にすれば一目瞭然な事ですが、氷をたたくという意味を持つ敲氷の文字に、火を求めるという意味を有する求火の文字を加える事で誕生した言葉です。

以上の事から敲氷求火は、目的に合う方法を取らないと苦労しても目的を達する事は出来ない事を示します。

「敲氷求火」の言葉の使い方

敲氷求火は、正しいやり方を実行しないと、目的は達せられないという意味の言葉として用いられているのです。

更に氷をたたいて火を得ようとする様な、見当違いで不可能な望みという意味の言葉として使用されています。

「縁木求魚」と「敲氷求火」の違い

縁木求魚と敲氷求火の漢字表記を見比べれば、使用している漢字も読み方も全然違う言葉同士です。

所が示す意味には似た部分がある類義語の関係にある点を理解しておく必要があります。

とはいえ縁木求魚は、方法が間違っているせいで目的を達成するのが難しいとか、実現が絶対に不可能という意味を表すのです。

一方の敲氷求火は、目的に合致した方法を実行しないと、苦労してもその目的は達成出来ないとか、無理な望みを示します。

まとめ

2つの言葉は、駆使している漢字も読み方も全然違うものの、所有する意味は似ているという類語同士です。

ただし縁木求魚は、方法に誤りがあるので実現が困難である事とか、無理な望みといった意味に使われる言葉となっています。

対する敲氷求火は、見合った方法を取らない限りその目的は達せられないや見当違いと言える程に無理な望みを持つという意味の言葉として用いられているのです。

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