「公明正大」と「公平無私」の違いとは?分かりやすく解釈

「公明正大」と「公平無私」の違いとは?違い

この記事では、「公明正大」「公平無私」の違いを分かりやすく説明していきます。

「公明正大」とは?

自分の利益ばかり考える心がなく、すべてを同じように扱うこと、またそのさま、という意味です。

公平で私心がなく、物事を隠したりしないことをいいます。

経営をしていると、自分の利益ばかりを考えたくなることもあるでしょう。

自分の利益ばかり考えて、公平に物事を行えなくなってしまうこともあるでしょう。

このさまは、この言葉が意味しているものではありません。

自分の利益ばかりを考えているのではなく、どのようなものも同じように扱い、隠し立てをしないさまが、この言葉が意味するものです。

不正をする、知っているけれど利益のために教えない、そういったことはしないさまが、この言葉が意味するものに当てはまります。


「公平無私」とは?

どちらか一方に偏ることがなく平等で、自分の利益ばかりを考えないさま、という意味です。

偏らないようにするという意味合いがあります。

Aという主張をする人と、Bという主張をする人がいたとします。

第三者がそれぞれの主張に対して意見を言います。

Aさんのことを贔屓にしているから、Aの主張を支持する。

このような態度は偏っているといえます。

これは、この言葉が意味するものではありません。

AもBも平等に扱い、私心を持たないことが、この言葉が意味するものです。

すべてを同じように扱い、自分の利益を考える気持ちを持たないことをいいます。

どちらか一方に偏ってしまったり、私心が入ってしまうと、この言葉が意味するものではありません。


「公明正大」と「公平無私」の違い

「公明正大」「公平無私」の違いを、分かりやすく解説します。

同じような意味を持つ言葉です。

「公明」という場合は、不正がないこと、「公平」という場合は偏りがないということを意味します。

どちらの言葉にも、私心がないという意味が含まれている点は同じです。

まとめ

2つの言葉は同じような意味を持っていますが、一方は不正がないこと、もう一方は偏っていないことに重点がおかれています。

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