日本映画黄金期を生き残った理由とは?
この記事では、「東宝」と「東映」の違いを分かりやすく説明していきます。
「東宝」とは?
東京都千代田区有楽町に本社を置く映画業界最大手だと言っていいでしょう。
日活、大映がテレビ時代への移行に失敗したのとは対照的に東映、松竹と共に日本の映画界を支えた屋台骨と言えるでしょう。
名前の由来は阪神急行電鉄の小林一三氏が起ち上げた株式会社東京宝塚劇場の名前からでした。
有名な東宝争議こそあったもの、それ以降は黒澤明作品、円谷英二作品のゴジラシリーズ、加山雄三作品の若大将シリーズなどを世に送り出し、家族で安心して見れる作品、王道路線を歩んできました。
テレビ時代に以降に成功、かつての映画製作会社としての側面はほぼ消滅したもの、配給会社及び興行会社として他社の追随を許していません。
「東映」とは?
1946年に東京映画配給株式会社が東横映画、太泉映畫を吸収合併したのがそのはじまりです。
1951年の社名変更により現在の東映株式会社になりました。
東映動画、東映アニメーションはもとより東映ホテル、現在のサッポロ日本ハムファイターズの前身である東映フライヤーズ経営。
基本的に映画、テレビともに自社製作を貫いてきたスタイルで有名です。
「東宝」と「東映」の違い
「東宝」と「東映」の違いを、分かりやすく解説します。
端的に言えば戦前から続く名門であり、そもそものスタートが興行会社だったのが東宝だと言っていいでしょう。
東映は完全な後発でしたが映画製作を自社で行うスタイルを長く貫いていたと言えます。
後発がゆえに子供向け作品や任侠作品、他社の隙間を狙ったジャンルに活路を見いだしていきました。
東宝は1977年でほぼかつての映画製作会社としての側面を切り捨て、配給会社と豊富な不動産資産を用いて収益を出す形に早々に転換。
東映は長らくテレビも映画も自社製作を貫いていましたが、映画界の斜陽化は止まらずに結果東宝同様に配給会社としての側面を強くしていく事になります。
まとめ
東宝は戦前に起ち上げられた会社で元々は興行会社でした。
そのため映画製作という枷に囚われず、早々に配給会社、興行会社へと路線変更をしています。
また帝国劇場など不動産資産を多数所有していた事も追い風になりました。
現在ではゴジラシリーズ以外は映画の作製をしていません。
東映は戦後に起ち上げられた新しい映画会社でした。
青春ものや大作よりも時代劇スターやテレビ番組黎明期の人気作品の映画化、任侠映画のシリーズ化など独自路線を歩んだと言っていいでしょう。
いち早く多角化に積極的、また全ての作品で自社制作に拘っていたのが東宝との大きな違いだと言えるでしょう。