この記事では、いじめの「観衆」と「傍観者」の違いを分かりやすく説明していきます。
いじめの「観衆」とは?
いじめの「観衆」の意味は、「いじめを積極的に認めて、その様子を見ることを楽しみにしている人達」という意味です。
いじめの現場に興味を示し、止めることなくむしろ「もっとやれ」という気持ちで期待しながら見ることを表します。
いじめの「観衆」の言葉の使い方
そもそも「観衆」は「興行物や催し物などを見物しに集まった大勢の人々」という意味です。
いじめの観衆は、いじめを一つのイベントと見て、見物して楽しむ人たちに使われます。
いじめの「傍観者」とは?
いじめの「傍観者」の意味は、「いじめを黙認して、自分には関係ないと思っている人達」という意味です。
積極的に認めている訳ではなく、「やめればいいのに」とは思っていても、自分には関係ないので関わりたくないと思う人たちに使われます。
いじめの「傍観者」の言葉の使い方
「傍観者」は「手を出さずに、自分に関係のない立場で見ている者」という意味です。
面白がって側に寄ってくるのではなく、遠巻きに見ながら、できれば「知らない」「関係ない」で済ませようとする人たちに使われます。
いじめの「観衆」と「傍観者」の違い
「観衆」は「いじめを積極的に認めて、その様子を見ることを楽しみにしている人達」です。
「傍観者」は「いじめを黙認して、自分には関係ないと思っている人達」です。
いじめの「観衆」の例文
いじめの「観衆」の例文は以下の通りです。
・『一部の生徒はいじめの観衆となっていた』
・『いじめの観衆は結果的にいじめに加担している』
・『いじめの観衆が、いじめの現場ではやし立てる』
いじめの「傍観者」の例文
いじめの「傍観者」の例文は以下の通りです。
・『多くの人はいじめの傍観者として知らん顔している』
・『いじめの傍観者の多くは、いじめは良くないと思っている』
・『自分がいじめられたくないという思いから、いじめの傍観者にならざるを得ない』
まとめ
今回はいじめの「観衆」と「傍観者」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。