この記事では、「若気の至り」【わかげのいたり】と「若気の過ち」【わかげのあやまち】の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「若気の至り」とは?意味
若さがありあまって無分別な行為してしまうことを「若気の至り」【わかげのいたり】といいます。
使い方としては、「若気の至りで女性を泣かした」と未熟さゆえに異性との恋愛がうまくいかなかったことを表すわけです。
「若気の至り」によって何度か同じ過ちを犯したということもありますし、反対に「若気の至り」でやらかした失敗談を話して笑いをとるといったネタに使います。
「若気の過ち」とは?意味
若さゆえに愚かな失敗することを「若気の過ち」【わかげのあやまち】といいます。
たいていは自分の愚かさが招いた失敗であるため、人から見れば笑って済まされない場面で使われている言葉です。
たとえば、元気が有り余って走り回り、窓ガラスを割ってしまったとか、嬉しい気持ちをうまく抑えきれず女性にちょっかいを出してしまうといったとき人に不快感を与えたり、苛立つ気持ちにするとき使われています。
「若気の至り」と「若気の過ち」の違い
「若気の至り」と「若気の過ち」の違いを、分かりやすく解説します。
お酒が入ってはめを外した人が裸になり、女性の前で踊ってしまったとか、好きな人の後を追いかけて用水路に落ちてしまったというちょっとした出来事を起こすことを「若気の至り」といいます。
もう一方の「若気の過ち」はあまりにもお腹が空いていたので、人の食べ物を盗んで食べてしまったとか、ギャンブルで負けてしまい、親や友人にお金を借りたのにいまだ返さず迷惑をかけるという少し重い過ちを指すわけです。
「若気の至り」の例文
・『血気に逸った若気の至りで、女性の尻を触ってしまった』
・『若気の至りで、10代のころ髪を赤く染めていた時がある』
「若気の過ち」の例文
・『若気の過ちで母親に苦労かけて病気にしてしまった』
・『飲酒運転した若気の過ちを深く反省している』
まとめ
どちらも若さゆえにやらかしてしまったことを指す言葉ですが、無分別な行いすることを「若気の至り」といい、人には言えない愚かな失敗したときは「若気の過ち」を使うといいでしょう。