「私憤」と「悲憤」の違いとは?分かりやすく解釈

「私憤」と「悲憤」の違いとは?違い

この記事では、「私憤」【しふん】と「悲憤」【ひふん】の意味や違いを分かりやすく説明していきます。

「私憤」とは?意味

自分がやってしまったことに対して怒りをもって憤慨することを「私憤」【しふん】といいます。

後悔するようなことをしてしまったり、恥をかくようなことして憤りを感じた人は自分の愚かさに嫌気がさすだけでなく、駄目な人間であるか苛立つわけです。

その苛立ちが次第に怒りとなって現れて気持ちの整理ができなくなっていきます。


「悲憤」とは?意味

悲しいことが起きたとき人はひどく落ち込み、いきどおることを「悲憤」【ひふん】といいます。

悲しい気持ちと憤りを感じてやるせなく思う状態を表す言葉です。

このような状態に陥る原因には、理不尽なことされて友を失ったとか、相手から騙されて家族が怪我したなど愛する者がひどいことに巻き込まれたとき心を取り乱して「悲憤」に暮れるわけです。


「私憤」と「悲憤」の違い

「私憤」「悲憤」の違いを、分かりやすく解説します。

個人的なことで失敗したり、過ち犯したとき自分の愚かさに気持ちが高ぶり、怒りに負けて人に八つ当たりして暴言を吐くことを「私憤」といいます。

もう一方の「悲憤」は、悲しい気持ちに包まれるだけでなく、憤慨する状態に陥るさまも表せる言葉です。

悔しい気持ちとつらさがしだいに憤りに変わり、怒りが全身を包む人のさまを強く表します。

たとえば、砂浜にゴミを捨てていく若者の愚かな行動に悲しい気持ちと怒りが混ざり合うとき、「私はひどく悲憤した」と穏やかではない状態を伝えるのです。

「私憤」の例文

・『自分の愚かな行動で人の足を引っ張ったことに私憤を抱く』
・『私憤を露骨に表し、子供に怒りをぶつける父親が嫌いだ』

「悲憤」の例文

・『道端に尻をつけて座り、大声で話す若者の姿に悲憤する』
・『動物を簡単に捨てる人間の愚かな行為に、悲憤の涙を流す』

まとめ

どちらも憤慨する気持ちを表す言葉ですが、「私憤」は個人的なことで憤りを感じて怒りを表し、「悲憤」は人の愚かな行動を見て怒るという状態を表すと覚えておくといいでしょう。

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