人間の心情を意味する「無念」と「痛恨」。
この2つの言葉には、どのような違いがあるのでしょうか。
この記事では、「無念」と「痛恨」の違いを分かりやすく説明していきます。
「無念」とは?
「無念」は仏語です。
仏語での意味は、妄念のないことを意味し、迷いの心を離れ何事も思わないことを意味します。
また、一般的な意味としては、悔しいことや、その様子を意味する言葉となります。
悔しくてたまらない。
そのような時にピッタリの言葉が「無念」なのです。
言い換えれば、「残念」や「屈辱」、「心残り」、「不本意」。
また、「悔やんでも悔やみきれない」といった言葉に言い換えることができます。
「無念」の使い方
「無念」は、「無念に思う」や「無念を晴らす」、「無念な結果」、「無念でならない」、「無念の涙」などといった形で用いられます。
「痛恨」とは?
ひどく残念が残ることを「痛恨」と言います。
大変、うらみに思うことや取り返しがつかず、非常に悔しい気持ちを意味する言葉となります。
言い換えれば、「残念な」や「心残りがある」、「悔やまれる」、「未練がある」、「未練が残る」などと同じです。
「痛恨」の使い方
「痛恨」は、「痛恨の極み」や「痛恨の思い」、「痛恨きわまりないこと」、「大痛恨事」などといった形で用いられます。
「無念」と「痛恨」の違い
「無念」も「痛恨」も、悔しさを表した言葉といった共通点があります。
そのため、同じような場面で用いることが可能な言葉となります。
「無念」の例文
・『今年こそ、先輩方の無念を晴らしたい』
・『彼のような死に方は無念でならない』
・『頑張ってきた息子だったが、無念な結果に終わってしまいました』
・『彼は、どれだけ無念だったかと思うと胸が痛みます』
「痛恨」の例文
・『彼は、大切な場面で痛恨のミスをしてしまった』
・『彼女から発生られた言葉は私にとって、痛恨の一撃でした』
・『彼は、今回のことがどれだけ自分にとって痛恨事だったとわかっていない』
・『彼の死は、痛恨の思いです』
まとめ
以上のように、似たような意味を持つ言葉が「無念」と「痛恨」です。