この記事では、「ノヴゴロド国」と「キエフ国」の違いを分かりやすく説明していきます。
「ノヴゴロド国」とは?
「ノヴゴロド国」は、スウェーデンにいるノルマン人というバイキングという組織が建国した国で、ノルマン人とは、ノブゴロドを起源に現在で言うロシアの起源となった国で、いわば、古代のヨーロッパ人の人種の一つです。
ただ「ノヴゴロド国というエリア自体は、スラブ人の方々が住んでいたんですが、ノルマン人の方が侵略という形で住み、現在のロシアの起源となったので、このエリアに住んでいた人は実は、スラブ人の方でヨーロッパで一番多いとされていた人種を追いやる形で、ノルマン人が移り住んだということになります。
「キエフ国」とは?
「キエフ国」は、ノヴゴロドが商業都市として栄えたんですが、あえて、この国は、周囲の国々に自分の娘を結婚させることで勢力を拡大していった軍事的な国家になります。
つまり、元々は、「ノヴゴロド」のほうがお金持ちが集まる国だったんですが、協力が軍隊で併合という形をとったのが、「キエフ国」になり、これも現在で言うロシアの一つになります。
「ノヴゴロド国」と「キエフ国」の違い
両者の違いは、「ノヴゴロド国」が最初のロシアの起源で、「キエフ国」は、商業都市に住むことができなかった、現在のロシアの方々が国王を建てたうえで、政略結婚という形で勢力を拡大して、軍事国家を形成して成り立った国であるという違いです。
よって両者は、商業国家であるか、軍事国家であるかという違いになります。
まとめ
「ノヴゴロド国」に関しては、バイキングという軍事的な組織がヨーロッパでもっともたくさんの部族であった、スラブ人という民族を追いやることで建国された商業国家です。
しかし、商業国家に住むことが許されなかった、ノルマン人の方々は、あえて周囲の王族に取り入り、組織を拡大するという手法を取り、軍事力で、商業国家を併合という形を取り、「キエフ国」を建国します。
では、「キエフ国」は栄えたか、となりますが、これは、実は、モンゴル帝国の影響が大きくなり、内部分裂という形で散り散りになりました。
ちなみに、現在のロシアという方になるまでに際しては、モンゴル族の影響力がかなり強かったがゆえ、ロシアという形になることが許されず、1480年代になりようやくロシアが独立という形で、「キエフ国」からロシアに名前を変えたわけです。
ちなみに、「キエフ国」は、10世紀あたりは、ものすごく強大な国家で、ローマを脅かす存在だったんですけど、大きくなりすぎた、「キエフ国」はだんだんと統制が取れなくなりまして、そこに、トルコ系の住民の方が攻め込み、最終的には、とても強大なモンゴル帝国が襲い掛かり、分裂ということになりました。
そのモンゴル帝国も実は、大きくなりすぎたことと、だれが世継ぎになるんだということで、統制が取れなくなり、身内同士でけんかをしたことで次第に勢力が弱くなり、最終的にロシアという形で、「キエフ国」の独立を許しました。