この記事では、「度外視」と「等閑視」の違いを分かりやすく説明していきます。
「度外視」とは?
物事を関係のないものとしてすておくことや、問題にしないで無視することです。
例えば、「採算を度外視する」という言い方は、利益や損失を考えないで行動するという意味です。
「等閑視」とは?
物事を軽くみて、いいかげんに扱うことや、ないがしろにすることです。
例えば、「現状を等閑視する」という言い方は、現在の状況を重要視しないで放置するという意味です。
「度外視」と「等閑視」の違い
「度外視」と「等閑視」の違いを、分かりやすく解説します。
「度外視」と「等閑視」は似たような意味の言葉ですが、使い方やニュアンスに違いがあります。
「度外視」は、物事をまったく問題にしないことや無視することを表します。
その一方で、「等閑視」は、物事を軽く見ていい加減に扱うことやないがしろにすることを表します。
また、「度外視」は、問題にする必要がないと判断することや、意図的に無視することになり、「等閑視」は、問題にすべきことを怠ることや、不注意で無視することになります。
「度外視」の例文
・『彼は予算を度外視した事業計画を立ててきたので、当然のことながら却下された』
・『彼女は周囲の反対意見をすべて度外視して、彼との結婚に踏み込んだ』
「等閑視」の例文
・『彼は自分の健康を等閑視して、適度に休むことを拒絶した』
・『政府は環境問題を等閑視して、十分な対策を講じなかった』
まとめ
「度外視」と「等閑視」は似たような意味の言葉ですが、ニュアンスの違いがあります。
「度外視」と「等閑視」の違いは、一般的に無視する度合いや態度にあります。
「度外視」は、完全に無関係として切り捨てることで、強い否定的な感情が含まれます。
「等閑視」は、軽視や無関心として扱うことで、あまり深刻に考えないという感情が含まれます。
それぞれの言葉を正しく使い分けられるように注意しましょう。