この記事では、「恥ずかしい」と「照れる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「恥ずかしい」とは?
「恥ずかしい」とは、「恥をかくような思いに包まれる」さまや「自分の欠点や短所などを自覚して体裁が悪くなるような」様子などを示す言葉です。
あることが原因となって人目につきたくない思いが沸き起こるなどという意味合いで使われており、「面目(めんぼく/めんもく)ない」または「不名誉」などという語句と同様のニュアンスで使用されています。
「照れる」とは?
「照れる」とは、「あることによってきまりが悪くなる」さまや「気恥ずかしく感じる」様子などを示す言葉です。
「はにかむ」もしくは「恥じらう」などという語句と似たような意味で用いられており、「恥ずかしさのあまりに顔が赤く火照(ほて)る」などというニュアンスで用いられている文言です。
「恥ずかしい」と「照れる」の違い
「恥ずかしい」と「照れる」は、どちらの語句も自分が多くの人たちから注目されたり、人前で何かを話したりする際に受ける微妙な気持ちを表す言葉として使われています。
ポジティブ、ネガティブを問わずさまざまな場面や状況などで使うことができる「恥ずかしい」に対して、「照れる」はポジティブな場面のみで用いられている文言という違いがあり、分かりやすく言えば「照れる」には「恥」というニュアンスは含まれていない言葉であると言えるでしょう。
「恥ずかしい」の例文
・『恥ずかしい思いをしたくなければしっかりマナーを守ってください』
・『しっかり練習をしておけば本番で恥ずかしい思いをしなくて済むでしょう』
「照れる」の例文
・『学業で良い成績をおさめたことで照れるほど親からほめられました』
・『そんなに絶賛されちゃうと照れるなあ』
まとめ
「恥ずかしい」と「照れる」は、いずれの言葉も「気持ちがいたたまれなくなる」などという意味合いで使われている似たような文言です。
使用する際にはそれぞれの語句がもっている微妙なニュアンスの違いに注意をしながらうまく使い分けるようにしましょう。