この記事では、「肩身が狭い」と「弁解できない」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「肩身が狭い」とは?
周囲に迷惑をかけてしまうような酷いことした人は、恥ずかしくて隠れてしまいたいと感じる状態を「肩身が狭い」【かたみがせまい】といいます。
例えば、村に住む家族の娘が朝になると大きな音楽を流しては外で走り回るといった行為して、迷惑をかけたことに家族が周囲へ目も合わせられないと思う場面で「肩身が狭い思いをする」と使うのです。
「弁解できない」とは?
人に恥ずかしい思いをさせたとき、申し訳ない気持ちを持って反省したがうまく反省できずにいることを「弁解できない」【べんかいできない】といいます。
どうして恥ずかしいことしたのか自分でもよく分からない状態であり、相手に対して謝罪するため物事が起きた原因について話そうとしてもできず、言い訳さえできない失態をしでかした人が恥ずかしいと思う気持ちを表す言葉です。
「肩身が狭い」と「弁解できない」の違い
「肩身が狭い」と「弁解できない」の違いを、分かりやすく解説します。
子供の不始末により家族が近所に顔を向けられないほど恥ずかしい気持ちになることを「肩身が狭い」といいます。
過去に人を裏切る行為してはまた戻って来る用事があったとき、周囲に顔を向けられないほど「肩身が狭くてその場にいられない」といった言い方して逃げ出したくなる気持ちを表す言葉です。
もう一方の「弁解できない」は失態をしでかしたとき、あまりにもくだらない理由が原因で相手に恥をかかせてしまったことにうまく謝れない状況を意味します。
「肩身が狭い」の例文
・『孫が火遊びして隣人の家を全焼させた後、家族は肩身が狭い思いで生活する』
・『反対を押し切って結婚したのに離婚した妹はその後、肩身が狭い思いした』
「弁解できない」の例文
・『部下の失言はあまりにも幼稚すぎて弁解できなかった』
・『結婚して1年も経たずに不倫した夫の行動は弁解できない』
まとめ
人に顔を向けるのさえ恥ずかしいと思う行動や失態したとき、どのような場面で使えば言葉の意味をしっかり伝えられるか学びましょう。