「義憤」と「私憤」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「義憤」と「私憤」の違いとは?違い

この記事では、「義憤」「私憤」の違いを分かりやすく説明していきます。

「義憤」とは?

義憤とは、不正なことや道理に反することに対して感じる憤りのことをいいます。

義憤と書いて「ぎふん」と読みます。

義憤の「義」には、「人がおこなうべき正しい道筋」という意味があります。

「憤」という漢字は「腹立たしいこと、怒りを覚えること」を表しています。

「義憤に駆られる」とか「義憤を覚える」といった表現をすることが多いです。


「私憤」とは?

私憤とは、個人的な事柄に対して憤ることをいいます。

私憤と書いて「しふん」と読みます。

「私」は公(おおやけ)のものに対して個人を表す言葉で、自分自身を指す時にも使われる言葉です。

「憤」は憤りを感じることを表しているので、私憤は個人的なことで怒りを感じることを表します。

他人からひどいことをされて私憤を感じることもありますし、自分の失敗に対して憤りを感じることも私憤になります。


「義憤」と「私憤」の違い

義憤も私憤も腹立たしく感じ怒りを覚えることをいいますが、怒りの対象には違いがあります。

義憤は不正行為などに関して感じる怒りで、自分に関することではない場合も多いです。

それに対して私憤は、自分の個人的な事柄に対して感じる怒りのことをいいます。

「義憤」の例文

・『不正な行為で莫大な利益を得ている奴らに義憤を感じる』
・『義憤に駆られて怒鳴りつけてしまったがもっと冷静になるべきだった』
・『政治の世界にいると義憤を覚えることだらけだが何もできない自分に無力感を感じる』

「私憤」の例文

・『あいつへの私憤を晴らすためなら何でもする』
・『私は私憤からとんでもないことをしてしまった』
・『彼が告発したのは私憤のためではなかったと思う』

まとめ

義憤と私憤では、憤る対象に違いがあります。

義憤は不正行為や道理に反することに対する憤りで、私憤は個人的な事柄に対する憤りです。

違い
違い比較辞典