この記事では、「仏の顔も三度まで」と「堪忍袋の緒が切れる」の違いを分かりやすく説明していきます。
「仏の顔も三度まで」とは?
何度も同じ過ちを犯す人の行為に対し、黙秘できるのも3回までといった意味がある言葉が「仏の顔も三度まで」【ほとけのかおもさんどまで】です。
何度も人を傷つけたり、盗みを繰り返す人の行為に対し、さすがに仏であっても黙ってはいられないといった意味で使われています。
無法なことする者を許せなくなった人は怒り、見放す行為して懺悔させるのです。
「堪忍袋の緒が切れる」とは?
何度か人の愚かな行為を見て見ぬふりしてきましたが、さすがに不満が溜まると怒りが爆発するという意味で使われている言葉が「堪忍袋の緒が切れる」【かんにんぶくろのおがきれる】です。
器のでかさを表す堪忍袋をしっかり紐で縛っておく緒が解けたとき、その苛立ちに包まれた人は不満を相手にぶつけたくなります。
それだけ何度も卑怯な行為したり、人を見下すのでは怒りを納めておけないのです。
「仏の顔も三度まで」と「堪忍袋の緒が切れる」の違い
「仏の顔も三度まで」と「堪忍袋の緒が切れる」の違いを、分かりやすく解説します。
温和な人であっても、3回以上も悪さを繰り返す者は許せないと思う気持ちを込めたことわざが「仏の顔も三度まで」といいます。
さすがに顔を三度も撫ずれば心が広い仏であってもうっとうしく感じ、苛立つという意味を省略する言葉です。
もう一方の「堪忍袋の緒が切れる」は相手の卑怯な行為や悪さに我慢できず、怒りや不満が袋から飛び出てしまいます。
相手の図々しい行動に文句ばかり言うのでは、我慢も限界に達して怒りが爆発してしまうのです。
「仏の顔も三度まで」の例文
・『扉を蹴っては開ける息子の行為に仏の顔も三度までと叱った』
・『仏の顔も三度まで。親を馬鹿にする知人に怒りをぶつけた』
「堪忍袋の緒が切れる」の例文
・『何度も庭にゴミを投げ捨てる隣人に堪忍袋の緒が切れる』
・『財布から勝手にお金を盗む孫に堪忍袋の緒が切れた』
まとめ
自分がいかに怒りを抑えきれないでいるか伝えられることわざを2つご紹介しました。
どのような場面で使えばいいか調べて、うまく使いこなしてみましょう。