「苛まれる」と「咎められる」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「苛まれる」と「咎められる」の違いとは?違い

この記事では、「苛まれる」「咎められる」の違いを分かりやすく説明していきます。

「苛まれる」とは?

苛まれるとは「苛む」の受け身の形で、肉体や心を苦しめられたり、いじめられたりすることをいいます。

「苛む」には、「苦しめる、いじめる、叱ったり責め立てたりする」といった意味があります。

咎められたり、非難されたりするニュアンスも含まれています。

平安時代には既に存在していた表現とされます。


「咎められる」とは?

咎められるとは「咎める」の受け身の形で、非難されたり問い正されたりすることをいいます。

「咎める」には、過ちや欠点、今までに犯した罪などを取り上げて責め立てるという意味や怪しんで問いただすという意味があります。

「咎」という漢字は罪や過失を表すもので、それが動詞化したのが「咎める」です。

そこから受け身の「咎められる」が生まれました。


「苛まれる」と「咎められる」の違い

苛まれるは苦しめられることを表しており、咎められるという意味も含まれています。

咎められるは非難されたり問い正されたりすることを表していて、苦しめられるというニュアンスはありません。

苛まれるの場合、人から苛まれる場合もありますが「不安に苛まれる」とか「後悔に苛まれる」など人ではない抽象的なものに使うことが多いです。

咎められるは、人から非難される場合に使います。

「苛まれる」の例文

・『なぜ正直に打ち明けられなかったのかと後悔に苛まれる』
・『良心の呵責に苛まれ、全てを打ち明けた』
・『長く劣等感に苛まれる日々でした』

「咎められる」の例文

・『この財布は盗んだものではないかと咎められる』
・『警官がすぐそばにいたが咎められることはなかったのでほっとした』
・『ミスしたことを正直に話さなかったので上司に咎められた』

まとめ

苛まれるは苦しめられることで、咎められるというニュアンスも含まれます。

咎められるは非難されたり問い正されたりすることで、苦しめられるというニュアンスはありません。

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