この記事では、「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」の違いを分かりやすく説明していきます。
「天は二物を与えず」とは?
1人の人間に2つの長所を与えることはないという意味で使われている言葉を「天は二物を与えず」【てんはにぶつをあたえず】といいます。
例えば、いくら顔が良くても、音痴で歌が上手く歌えないといった人を指すわけです。
他にも、英語はできるのに運動がまったくできない様を伝えるときにも使われています。
このように、色々と出来る人は実に稀であるという意味を表す言葉です。
「弁慶の泣き所」とは?
無敵の強い人であっても、周囲に知られたくない弱みを抱えているという意味がある言葉が「弁慶の泣き所」【べんけいのなきどころ】といいます。
使い方としては、「強面の社長には孫が弁慶の泣き所であった」というように、滅多に弱みを見せない人であっても可愛いと感じる子供には弱さを見せると伝えられるわけです。
また、転んで1番弱い部位をぶつけてしまい、呻き声をあげてしまう人の弱さを伝えられます。
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」の違い
「天は二物を与えず」と「弁慶の泣き所」の違いを、分かりやすく解説します。
人間は2つ以上の長所を併せ持ってはいないという意味で使われているのが「天は二物を与えず」です。
天は才能や魅力を同時には与えないので、あとは自分の努力次第で長所の数を増やす努力するのが大切であります。
もう一方の「弁慶の泣き所」は、全身の中でも特に弱い部位を指す言葉です。
このようなところから、権力があっても弱点があると伝えられます。
「天は二物を与えず」の例文
・『好成績を残す選手が離婚する現実に、天は二物を与えないと感じた』
・『踊りと演技も一流の姉を見ると、天は二物を与えずとは思えない』
「弁慶の泣き所」の例文
・『辛口評論家として有名な彼の弁慶の泣き所は愛犬であった』
・『高学歴な兄の弁慶の泣き所は腋臭が酷いところだった』
まとめ
誰もが完璧な人はいないと伝えられる有名な言葉を2つご紹介しました。
どのように使えば弱点を表せるか深堀してみるといいでしょう。