GMARCHの雄雌?
この記事では、「学習院大学」と「学習院女子大」の違いを分かりやすく説明していきます。
「学習院大学」とは?
受験戦争時代には『MARCH』と呼ばれる大学の略称には含まれていませんでしたが、2000年以降仲間入りを果たしたのがGを頭文字にした『学習院大学』です。
創立は古く1847年に京都御所における学習所がその前身でした。
一般的に皇族が通う大学として認知度が高いと言えるでしょう。
度々皇族のロマンスの場として登場する事も多く見られました。
皇族が通う理由としては1926年の皇族就学令で定められた事によるものです。
学部は少なく文系は基幹学部3つに新しく新設された国際社会学部の4学部。
そして理系の理学部の5学部から構成されています。
規模としては大規模ではない事は全学部目白キャンパスで学んでいる事からも明らかと言えるでしょう。
「学習院女子大」とは?
1847年に京都御所に設けられた学習所の女子教科がその前身。
華族女学校、学習院女学部、女子学習院と幾度となく時代に振り回され、時には吸収、時には独立と複雑な道のりを辿ってきたと言えるでしょう。
その後も1年制の女子教養学園、2年制短大を経て、1998年に4年制大学に移行しました。
このため40代以上の方には短大としてのイメージが強いと思われます。
国際文化交流学部のみの1学部3学科体制、新宿区戸山キャンパスのみの小規模大学だと言っていいでしょう。
「学習院大学」と「学習院女子大」の違い
「学習院大学」と「学習院女子大」の違いを、分かりやすく解説します。
創立は1847年に仁孝天皇が京都御所で設立した学習所がはじまりなのは共通です。
前者は変遷が少なく、華族学校、宮内省所轄の官立学校と転身していきますが、後者はそれに伴って時には吸収、時には合併と体制が前者以上に変化していったと言えるでしょう。
これは戦後に学習院学制・女子学習院学制が廃止になってからも同様です。
後者は1年制女子学園、2年制短大を経て4年制大学に以降したのはまだ25年しか経過していません。
また「学習院大学」は皇室関係者が通う大学の印象が強かったもの形骸化しつつあります。
大学の規模で言えば前者は中規模の総合大学であるのに対して、後者は小規模かつ1学部3学科なのが特徴だと言えるでしょう。
まとめ
「学習院大学」は皇室が多く通う大学であったもの近年形骸化。
中規模総合大学化していると言っていいでしょう。
「学習院女子大」は小規模の1学部3学科体制で4年制大学としての歴史は浅いと言えます。