江戸時代まで存在した「与力」と「同心」それぞれ何を指す言葉なのでしょうか。
今回は、「与力」と「同心」の違いを解説します。
「与力」とは?
「与力」とは、「上級武士の下について働く中間管理職的な武士の役職」を意味する言葉です。
「与力」の使い方
戦国時代までは大将の下について働く副官や部隊長的な立場の侍を指していましたが江戸時代になると徳川幕府の中で奉行直属の配下として働く役職の呼称として使われるようになります。
徳川幕府では役職の長として「奉行」が置かれますがその配下として事務や実務を取り仕切る役職が「与力」です。
「与力」は御家人がつく役職でありながら袴の着用や騎乗が許されるなどやや特殊な扱いをされます。
一般的に「与力」といえば南北両町奉行所に配された町与力を指します。
町奉行所の与力は最大で各25人、俸禄は総額で1万石です。
役割ごとに詮議与力や吟味与力などに分かれ軽い罪に関しては町奉行に代わって沙汰を下すこともあります。
「同心」とは?
「同心」とは、「江戸幕府に存在した下級役人」のことです。
「同心」の使い方
元々は足軽身分の大勢いる下級武士を指す言葉でしたが徳川幕府では正式な役職として名称が使われています。
徳川幕府の職制の中では一番下に位置する役職であり南北両町奉行所で捜査官として働く「町同心」のほか御先手組配下の「火付盗賊改方同心」や寺社奉行配下の「寺社同心」などがいます。
「与力」と「同心」の違い
「与力」と「同心」はどちらも徳川幕府の役職ですが「与力」は「同心」の上司にあたる身分です。
徳川幕府では各部門のトップを「奉行」、その下で事務や実務などを取り仕切る管理職的な役職を「与力」、現場に出向くなど最前線で働く役職を「同心」と定めています。
「与力」と「同心」は御家人と足軽格で身分が異なるため同心で手柄を重ねても「与力」に出世することはまずありません。
まとめ
「与力」と「同心」は時代劇や時代小説では常識とされる言葉です。
難しい意味ではないので知っておきましょう。