この記事では、「多岐亡羊」と「望羊之嘆」の違いを分かりやすく説明していきます。
「多岐亡羊(たきぼうよう)」とは?
「多岐亡羊」とは、「学問の道があまりにも多岐に渡っているため、真理に到達することが難しいことや真理を見失いがちになること」、「方針が多いあまり、どれを選択すべきか迷うこと」を意味する言葉です。
中国の道家思想書「列子」が出典であり、枝道が多すぎるあまり、逃げた羊を見失ったという故事が由来となっています。
「多岐亡羊」の使い方
「多岐亡羊」は名詞として使われています。
「望羊之嘆(ようぼうのたん)」とは?
「望羊之嘆」とは、「遥か上を見上げて嘆き悲しむこと」や「どうすることもできない状況を嘆き悲しむこと」を意味する言葉であり、「望洋之嘆」や「望陽之嘆」、「望佯之嘆」とも表記されます。
「望羊」は「上を見上げること」や「果てしなく広大な様子」などを表しています。
「望羊之嘆」の使い方
「望羊之嘆」は名詞として使われています。
「多岐亡羊」と「望羊之嘆」の違い
「多岐亡羊」は「学問の道が多いため、真理に到達し難いこと」や「方針が多く、選択に迷うこと」を意味する四字熟語です。
対して、「望羊之嘆」は「遥か上を見上げて嘆き悲しむこと」や「どうすることもできない状況を嘆き悲しむこと」を意味する四字熟語です。
ちなみに、「多岐亡羊」と同じ意味を表す四字熟語に「亡羊之嘆(ぼうようのたん)」があり、「望羊之嘆(ぼうようのたん)」とは読みが同じでも意味が異なるので、混同しないように注意しましょう。
「多岐亡羊」の例文
・『多岐亡羊たる学問を1つ極めるだけでも、一生という時間は少ない』
・『方針が1つに定まらず、多岐亡羊に苦悩した』
「望羊之嘆」の例文
・『失恋してしまった彼は望羊之嘆という様子であった』
・『手も足も出ないこの状況は望羊之嘆と言える』
まとめ
「多岐亡羊」は「学問の道があまりにも多岐に渡っているため、真理に到達することが難しいことや真理を見失いがちになること」、「方針が多いあまり、どれを選択すべきか迷うこと」を意味する四字熟語です。
そして、「望羊之嘆」は「遥か上を見上げて嘆き悲しむこと」や「どうすることもできない状況を嘆き悲しむこと」を意味する四字熟語でした。