この記事では、「一視同仁」と「怨親平等」の違いを分かりやすく説明していきます。
「一視同仁(いっしどうじん)」とは?
「一視同仁」とは、「全てを平等に扱い、差別しないこと」や「区別やえこいひいきをせず、誰しも同じように扱うこと」、「身分や立場、敵味方、禽獣にかかわらず、平等に慈しみ、差別なく接すること」を意味する言葉です。
「一視」は「同じように見ること」を表し、「仁」は「愛情」や「思いやり」を表します。
語順を入れ替えて「同仁一視(どうじんいっし)」と表現されるケースもあります。
「一視同仁」の使い方
「一視同仁」は名詞として使われています。
「怨親平等(おんしんびょうどう)」とは?
「怨親平等」とは、「敵味方にかかわらず同じように処遇すること」や「敵対した者でも親しい者でも同じように扱うこと」を意味する言葉です。
もともとは仏教用語であり、「敵味方の垣根を越えて、一切同じように犠牲者を供養すること」などの意味として用いられていました。
「怨親」は「自分を害する者と自分に味方してくれる者」という意味を表しています。
「怨親平等」の使い方
「怨親平等」は名詞として使われています。
「一視同仁」と「怨親平等」の違い
「一視同仁」と「怨親平等」はどちらも主に「敵や味方などで区別せず、全てを平等に扱うこと」という意味を表す四字熟語です。
したがって、2語は類義語の関係に当たると言えます。
「一視同仁」の例文
・『この人物には、権力者から貧しい者まで一視同仁に接したという逸話が残っている』
・『彼は自分がどんな立場になろうとも、一視同仁な振る舞いを心掛けている』
「怨親平等」の例文
・『信仰する者であれば、神は怨親平等に施しを与えてくれる』
・『怨親平等な態度というのは、言うには易いが実行は中々難しいものだ』
まとめ
「一視同仁」と「怨親平等」はいずれも主たる意味は「立場などで区別せず、誰しもを平等に扱うこと」を指し示す四字熟語です。
したがって、2語は類義語の関係に当たると解釈できます。